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Vol.24 ポレンタ! ポレンタ!ポレンタ!!

ポレンタ! ポレンタ!!Polenta ! Polenta! Polenta!!

みんなこんなにポレンタが好き!Che polentone che siamo!

12月に入り、寒さも本格的になってくると、無性に食べたくなるものがある。それはパネットーネでもクリスマスのご馳走でもない。ポレンタだ。
ポレンタとは、ご存じのようにトウモロコシを粉に挽いたものを、水やだし汁などでドロドロに煮た食べ物。古代ローマ時代にあった「プルテス」なるものがオリジナルだという、由緒ある料理である。粥状にゆるく炊いたものに肉の煮込みやミートソース状の物をかけて、またはチーズを溶かしこんで食べる。固めに煮て固まったものを切り分けて、それをバターで表面カリカリ、中フワフワに焼いて、肉や魚料理の付け合わせにしたりもする。味もカロリーもヘビー級の食べ物であることから、一応冬の食べ物ということになっている。
しかし寒くなってポレンタが食べたくなるなんて、私も立派なポレントーネになってきたものだと感慨にふける今日この頃。ポレントーネとは、貧しかった北イタリア人たちがポレンタばかりを食べるのを見て、南イタリア人が馬鹿にして呼んでいた蔑称だとか。一方の北イタリア人たちは、パスタばかり食べる南イタリア人をマッケローニと呼んでいたそうだ。まあどちらも過去のお話で、今ではイタリア全国民がマッケローニになり、一方ポレンタは若干劣勢だ。煮込むのに最低でも40分はかかるという面倒くささとか(現代では3分でできるインスタントもあるにはあるけれど、やっぱり本格派の味にはかなわない)、でんぷん質とタンパク質ばかりが多くなりがちな、ちょっとヘルシーじゃないところなどが現代人に敬遠される理由だと思う。
でも、あのトローリふんわり口の中に広がるかすかに甘いトウモロコシの味に、しょっぱいサルシッチャのトマト煮込みとかゴルゴンゾーラのコクのある塩味とかイノシシ肉のジューシーなシチューなんかが絡まりあう時には、ええーい、ヘルシーなんかクソくらえ! と開き直っても余りある魅力がある。もちろんこんなふうに思っているのは私だけではない。普段は常にダイエットを心がけるイタリア某大企業の幹部A氏は「ポレンタパーティー、やる? やる?」と彼の妻である私の親友に毎晩のように迫っているらしいし、ピエモンテ人であることを誇りにしているインテリ家族のE家の人々は、毎年のように「ポレンタな日曜日」に私を招待してくれる。ポレンタな日曜日とは、ポレンタしか食べない日曜日のこと。一杯目はチーズをかけて、2杯目は煮込みで、3杯目は素ポレンタで、という具合にずっとポレンタを食べ続けるのだから、並大抵の胃袋伸縮力では太刀打ちできない。
古臭いとかヘルシーじゃないとか言いながら、実はこんなにポレンタは愛されているので、ポレンタのお菓子というのもイタリアには存在する。有名なのが「ポレンタ・エ・オゼイ」というベルガモの郷土菓子。ポレンタに「オゼイ」=野生の小鳥料理を添えたものがあるのだが、それに見立ててポレンタをスポンジで、小鳥をチョコレートで作ったかわいらしいお菓子だ。
一方家庭菓子で私が好きなのは、ポレンタを砂糖とレモンの皮を入れた牛乳で煮て、冷えて固まったところを一口大に切り分けてから揚げたもの。その名もポレンタ・フリッタ。ベネト出身の我が家のおばあちゃんがよく作ってくれる冬のおやつだ。外はカリッと揚がって、中はふわふわとクリームのように口の中でとける。強烈な個性とか際立ったおいしさ、美しさはないけれど、一つ、また一つ、そして今日も明日も食べたくなるような、イタリア菓子そのものの魅力がいっぱいなのだ。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.23 白トリュフのお話

白トリュフのお話Racconto dei tartufo biancho

森のダイヤモンドDiamante del bosco

北イタリアでは毎年、9月の中盤から10月にかけて雨がシトシト降り続いて気温がぐっと下がり、夏のバカンス気分は一気に吹き飛ばされる。ったく雨ばっかり降ってうっとうしい! とロマンを解さない私などは思ってしまうのだが、あるイタリア人のソムリエ氏などは「雨に濡れそぼった枯葉の香り」と、ワインの表現に使っていたっけ。さすが、ロマンの国、イタリアである。
ところが今年は、そんなロマンチックな(?)秋の雨がほとんど降らず、暑い夏のような気候が10月初旬まで続いた。寒いのが嫌いな私はラッキー❤と楽しく過ごしていたのだが、ところがどっこい、実はアンラッキーの始まりであった。
そう、食いしん坊にとってアンラッキーなお天気、つまり雨が降るべき時に降らなかったせいで、秋のめぐみのキノコ類が全く不作だったのだ。イタリアのキノコといえば、まずポルチーニだけれど、例年ならもう、リゾットにフライに炒めもの、そして生でサラダにと飽きるほど食べているところを、今年は数え切れるほどしか食べられなかった。市場に買いに行ってもなかなか見かけないし、レストランへ行ってもメニューにのっていないのだ。
一方キノコの王様、トリュフにいたっては、たったの2回しか食べていない。出回っている量が圧倒的に少ないから、あっても質がよくないかとても高い。だから食べる機会がぐっと少なくなってしまったというわけだ。
ちなみにトリュフのことをキノコ、キノコとさっきから言っているが、実は形状も生え方もキノコとは全然違う。トリュフは丸い芋状のものが、木の根元などの地下に生える。それをイタリアでは犬に発見させて「ここ掘れワンワン」と言わせるのだが、種ではなくて菌糸から発生するから、学問的にはキノコの一種である、ということになっているらしい。
さて、そのトリュフ、スイーツ界でもお馴染のチョコレートの一種でもある。形がキノコのトリュフに似ているところから、こう呼ばれるようになったというのはご存じの通り。では本家キノコのトリュフはというと、大まかに言って白と黒の2種類がある。黒はフランスのぺリゴールなどが産地として有名で、高級フランス料理のソースに、風味づけにといろいろなところで活躍している。
いっぽう白トリュフはというと、世界でもとれるところがとても限られていて、その限られた産地の中でも我がピエモンテ州アルバ産のものが最高品質である、ということになっている。しかも白トリュフは生で食べることが真情で保存も利かない、人工栽培もできないということで、特に希少なものとして値段も恐ろしく高い。だいたい相場が1キロ3000ユーロ~4000ユーロ。一人前10g食べるとしたって、一人前4000円前後? 溶かしバターを絡めた細打ち卵麺「タリオリーニ」や「カルネ・クルーダ」と呼ばれるピエモンテ風牛肉のタルタル、それから卵のココットなどに薄く削って、その独特の香りを楽しむ。好きな人にとってはこの香りがたまらなくて、料理もぐっとおいしくなるというわけだ。
こんなに高価なので、森のダイヤモンドなんて呼ばれて宝物のように扱われる。レストランでも、お客の前へトリュフとともにやってきて、目の前で削ってくれるのはほとんどオーナーだけ。バイトのウエイター君に触らせて、トリュフを一かけポケットに入れられてはかなわん、ということらしい。
森のダイヤモンドだから、女性を口説くときにも大変活躍するらしい。媚薬効果があるという話もあるが、それは化学的に証明されたわけではなく、「私のために(森の)ダイヤを(食事として)プレゼントしてくれたのね❤」と女性がうっとりすることから、媚薬と言われるようになった、という説もある。
ある時、京都の超一流料亭の料理長を、アルバの街へご案内したことがある。トリノで晩さん会をするためにいらしたのだが、大仕事が終わったので、ちょっとだけピエモンテ観光、ということだった。その料理長が、老舗の白トリュフ専門店で大きな大きな白トリュフの塊を購入された。なんでも、京都へ持ち帰られ、口の中でとろけるようにおいしいことで知られる茶碗蒸しに削って、お出ししたのだとか。
うーん、食べてみたい。白トリュフのシーズン真っ最中のアルバから京都へ飛んでいきたいと思ったのを今も覚えている。卵やクリーム状のものと白トリュフがことのほか相性がいいのはわかっていたが、まさか茶碗蒸しとは。さすが、天才料理人である。媚薬効果抜群に違いないあんな料理を作る人は、やっぱりモテモテなんだろうか。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.22 保存食の季節 ②

保存食の季節 ②La stagione della conserva 2

オイル漬けの野菜たちVari Verdure  Sott’olio

イタリアは地味が豊かで、気候や地形がバラエティーに富んでいるから、野菜などの農作物も、各地それぞれに個性的でおいしいものがある。そのおいしさを旬が過ぎた後にも味わいたい、農作物のバラエティーが寂しくなる冬の間も食卓を豊かにしたい、そんな思いから生まれるのが野菜の保存食だ。
ほとんどの野菜は茹でて、焼いて、または生のまま、オイルや酢に浸けて保存するというスタイルが基本。そんな中で今回ご紹介するのは、他とはちょっと毛色の違う品々。味の方も飛びぬけておいしい、と私の独断と偏見で選んだ「イタリア一おいしい」野菜の保存食たちだ。
その一番バッターは、なんといっても「プチピーマンのアンチョビとケッパー詰め オイル漬け」。一見プチトマトに見える小さな赤いピーマンが、8月後半から9月にかけて市場に出回る。そのピーマンのヘタを取り、種をくり抜いたら、酢を混ぜた水に数時間浸けておく。酢を混ぜた水で煮る、というレシピもあるようだが、私が教わった方法は浸けるだけのやりかたで、このほうがシャキシャキとした歯ごたえが残るから、日本人の好みにあうと思う。
漬かったピーマンを酢液から出したら水気をよく切り、中にアンチョビとケッパーを詰める。アンチョビはできれば塩漬けのアンチョビを洗って、手開きしたもの。油焼けしていない生のような食感と、発酵食品のうまみが塩辛みたいにおいしいアンチョビだ。そしてケッパーも酢漬けではなく、塩漬けをさっと洗ったものを使う。野菜をオイルに漬けるだけといったシンプルな調理だからこそ、材料の良しあしで、できあがりの味が大きく変わってくるのだ。
これを熱湯消毒した保存瓶に並び入れ、ピーマン全部にかぶるまでオリーヴオイルを注ぎ入れる。オリーヴオイルもできればエキストラヴァージンがいいのだけれど、かなりたっぷり必要だから、高くついてしまうのが欠点だ。
高くつくし、手間はかかるけど、これほどワインとパンが進むおつまみもなかなかないだろうと、私はいろいろな人に胸を張ってお勧めしている。酸味のある料理はワインとの組み合わせは難しいとソムリエの先生は言うけれど、あまり難しいことは考えず、おいしいのでよしとする。もともとは南イタリアから北イタリアへ、出稼ぎの人と共にやってきたというプチピーマンは、基本的に辛味はないのだけれど、時々辛いのに当たることがある。そんな時、辛いもの好きの日本人としては当たりくじを引いたようで、ちょっと嬉しくもあったりする楽しい一品だ。
私のお勧め野菜の保存食二番目は、ピエモンテ名物アンティパストのレギュラーでもある、その名も「アンティパスト」。ニンジン、たまねぎ、セロリ、カラーピーマン、インゲンなどをトマトでグツグツ煮込んで、酢と砂糖で味つけしたものを作る。ここまでだとラタトゥイユの庶民派バージョンみたいな感じなのだが、これを保存瓶に入れておき、食べる時にはここへツナを加えて食べるのだ。言ってみれば、山の保存食と海の保存食を持ち寄って、一緒にしてみたらおいしかったというような、そんな一品。ちなみに現代でこそツナ缶は大量生産品がどこにでも出回っているけれど、海のないトリノやミラノでは、かつて海辺の町と物々交換して得ていた貴重品であった。だから秋の豊穣と、遠くからやってきた海の珍味を混ぜてテーブルに並べれば、またとないクリスマスのご馳走になったに違いない。
イタリア人にとって、マツタケみたいな存在のフンギポルチーニのオイル漬けも、格別なご馳走だ。プリプリ、かつコリコリした歯触りと、独特なキノコの香りは生の時とは別物の味わいがある。それから冬のシーズンが終わって春先にだけ出回る小さなカルチョッフィ(アーティチョーク)も私の大のお気に入り。カルチョッフィを掃除してから半割りにし、塩酢水でさっと茹でたのち、オイルに漬け込む。朝掘りの筍のように柔らかく、風味も高く、もう食べても食べても食べ飽きないおいしさだ。
当然、といっては語弊があるかもしれないが、手作りしたものは断然おいしい。だからおいしい野菜の保存食を食べたいと思うなら、季節ごとに野菜を大量に買い込み、仕込み、保存するという仕事が待っている。それはそれは手間がかかって忙しくて、仕事をしている場合じゃなくなるのだが、仕事をしないと材料も買えなくなるというジレンマに陥る。くいしん坊を極めるのも、なかなか大変なのである。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.21 保存食の季節 ①

保存食の季節 ①La stagione della conserva1

トマト万歳!Viva! Pomodori

イタリアで一番おいしいものの一つに保存食があると私は思っている。フルーツが旬真っ盛りの時期に収穫して、シロップ漬けやドライフルーツを作るという話はVol.18 フルーツの季節がやってきた! ですでに書いたとおり。で、今回の主役は野菜の保存食。豊穣の秋である今、9月~10月にかけて保存食作りのピークを迎えるからだ。
イタリア野菜の保存食、その王様的存在はなんといってもトマトの水煮だ。
トマトの水煮というと、日本人には缶詰めの印象が強い。缶詰め=生に比べて質が劣るとか、手抜きとかというイメージを持つ人も多いのではないだろうか? 私がトリノの自宅で毎月開催している、在住日本人の奥様向け料理教室でも、料理に水煮の缶詰を使うと「え? 先生でもそんなものを使うんですか?」なんて質問されることがある。
でもそれは大きな勘違い。トマトソースを筆頭に、トマトが活躍する多くのイタリア料理に水煮は欠かせないのだ。生のトマトでは出てこないのは、水煮ならではの甘みや旨味があるからだ。もちろん生のトマトの味が最高潮に達する時期、8月の終わりから9月頃なら、生のトマトで料理するにこしたことはないのかもしれない。でもそれは一年のほんの短い期間だ。サン・マルツァーノなど、加熱料理に適した細長い品種のトマトが南イタリアの真夏の太陽をたっぷりと浴びて最高潮に熟し、たくさん出回るのは、ほんの一時期だけなのだ。
だからその最高潮に熟したトマトを水煮にして保存瓶に密閉し、保存する。そうすれば一年中おいしいトマト料理が作れるというわけだ。で、家庭で手作りできない人のために、水煮の缶詰がある。瓶詰めになったものもある。缶詰めや冷凍食品やインスタント食品という分野では日本に比べて10歩も100歩も遅れているイタリアだけど、ことトマトの水煮だけは別。なんたって一年間に一人平均50キロもトマトを消費する国の人たちだ。市販のものだっておいしくなければやっていけない。大型のスーパーマーケットなどでは、棚一列全部トマトの水煮製品がずらり、というのが当たり前だ。
けれど昔ながらの手作りを愛するイタリアマンマは、自作にこだわる。保存料や添加物の心配はもちろんだけど、代々その家に伝わるレシピで仕込んだトマトの水煮を、一年間家族に安定供給するためのお母さんたちの奮闘月間、それが9月なのである。
まずは市場へ毎日出かけて行っては、できるだけ質がよく、できるだけ安いトマトを探して歩く。市場でもそういう事情を知っているから、南イタリアのおいしいトマトをたっぷり仕入れて、この時期の需要に備える。山積みにされた木箱入りのトマトの間をお母さんたちが練り歩き、その背中をナポリとかプーリアなまりの声がおいかける。「ポモドーリ・ベッリー!」(おいしい、いいトマトだよ!)「ダーイ! チンクエレキーリ ウンエウロ!!」(さあさあ、5キロで1ユーロだ!) そんなトマトを何10キロ、人によっては家族だけでなく親戚一同にも配るため100キロ単位で買いこんで、水煮作業に挑むマンマたち。
スーパーマーケットやキッチン用品店では、水煮にしたトマトを詰める保存瓶や、トマトを潰して濾すための機械なんかがずらりと売られるのも、この時期ならではだ。
いろいろ購入して準備万端整った各家庭のキッチンでは、いよいよ作業開始。一つ一つ洗って水気を切ったトマトを丸ごと湯むきにする人、半割にして種も取り除く人、機械を通してピュレ状にする人など、家庭によって作り方が少しずつ違う。下ごしらえされたトマトは熱湯消毒した保存瓶につめ、蓋を軽く閉めたら湯せんで加熱する。そうすることでトマトにちょっとだけ火が入って水気が凝縮され、おいしさが増す。瓶の中は真空になるから、一年間保存しても品質が劣化しないという具合。
こんなふうに、一年中休みなくイタリア人の食卓を支えるのがトマトの水煮だ。パスタに、リゾットに、そして肉や魚の煮込み、様々なソースの隠し味に、トマトの水煮は活躍する。保存食の王様と最初に書いた所以だ。だけどイタリアには、トマトだけでなく、おいしい野菜の保存食、お総菜がたくさんある。プチピーマンの詰め物に、ピエモンテ風野菜の煮込み、ナスやズッキーニやアーティチョークのオイル漬け、酢漬けなどなどなど。というわけで、次回はトマト以外の野菜の保存食、お惣菜を紹介します。こうご期待。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.20 秋のお楽しみ、フンギ・ポルチーニ

秋のお楽しみ、フンギ・ポルチーニFunghi Porcini,la gioila del’autunno.

トリフォラーティにフライ、リゾット、そして…。Trifolati,fritti,risotti ecc…

イタリアの秋の味覚といえば、なんといってもフンギ・ポルチーニFunghi Porciniだ。フンギはイタリア語でキノコという意味だから、シイタケとかシメジといった種類を指す名前に当たるのがポルチーニ。毎年9月から10月頃、市場やレストランのメニューにこのポルチーニが並ぶ頃になると「今年のはいいわね」とか「今年は雨が少なかったからいつもより遅い」などなど、話題もポルチーニ一色に染まり、おいしい時期を逃してはならんと、みんな買って買って、食べまくるのだ。
ちなみに私の住むピエモンテ州は、同じキノコの仲間の白トリュフで世界的に有名だけれど、あれはフォアグラ、キャビアと並ぶ別格のご馳走。日常の食卓とはあまりにもかけ離れ過ぎている。1キロ4000ユーロ、一人前50ユーロなんていう値段だから、シーズンだからと言ってたっぷりと堪能しまくれるのはリッチな方々だけ。そういえば私がもうちょっと若くてかわいかった頃、白トリュフの取材に行ったら、80歳を超えた白トリュフ協会の会長というおじいさんが、帰りがけ、私の手に小さな白トリュフを握らせ「今度は白トリュフ採りに連れて行ってあげよう」とウィンクした。森のダイヤとも呼ばれる白トリュフを武器に使うとは、さすがイタリア元祖チョイ悪(その頃そんな言葉はなかったけれど)、と感心したものだ。
 一方ポルチーニは、お金持ちも庶民も、グルメも、それほどグルメじゃない人も、イタリア人の誰もが大好きだ。相場は1キロ10ユーロから20ユーロほどで、他の野菜、たとえばニンジンなんかは1キロ2-3ユーロ、に比べたらちょっとした贅沢品だけど、手が出ないと言うほどでもない。
一番人気の食べ方は、やっぱりリゾットか、タリアテッレか。どちらにせよ、ポルチーニを薄くスライスしてオリーヴオイル、またはバターで炒め、仕上げにパセリを散らしたものをベースにした味付け。ちなみに、このポルチーニ炒めだけだと「Trifolatiトリフォラーティ」と言って、これも人気メニューの一つ。肉料理の付け合わせか、前菜として活躍する。
でも私の個人的な好みとしては、フリットが一番おいしいなあ。イタリアの粒の細かいパン粉をつけてカリッと揚げ、レモンをジュッと絞ってハフハフ言いながら齧ると、ポルチーニの香りたっぷりの汁がじゅわ~と口の中に広がって、それはそれはおいしいのだ。書いているだけで涎が出そうになってきた。でもフリットが好きなのは私に限った話ではないらしく、最盛期のレストランやトラットリアのメニューには、セコンドとして「Porcini Frittiポルチーニ・フリッティ」を掲げている店は少なくない。セコンドとして、肉や魚を食べる代わりに山盛りのポルチーニのフライにむしゃぶりつく常連風男性一人客、なんてとても絵になるのである。
 イタリア人たちはポルチーニを食べるのも好きなら、採りに行くのも好きという人が多い。私の夫の親戚にもキノコ採りの名人がいて、季節になると彼は朝5時に起きて森へ入りポルチーニ狩りに勤しむ。そうして採れたてほやほやのポルチーニや、自家製オイル漬けのフンギ類が時々我が家にも届けられる。オイル漬けはフンギ専門店で買ったりするとなかなか高価で、クリスマスなどの贈答品に使われることも多い。それをクリスマスや新年のお祝いディナーに前菜として食べたりするのだが、生のものとは違うシコシコとした味わいはオイル漬けならではの別のおいしさがある。
こんなふうにおいしいポルチーニ料理を羅列して行ったら果てがないけれど、最後に一つだけ、どうしても言いたい一品がある。それは「トラットリア・イ・ボローニャ」で食べた「ポルチーニの笠と卵のオーブン焼き」だ。軸をはずした大きめのポルチーニの笠を軽くソテーしたら、軸をとったくぼみに卵黄をそっとのせ、オーブンで焼いたものだ。食べるときに半生の卵を崩し、流れ出した卵をポルチーニにからめながら食べる。あのおいしさは、本当に私の口の中の記憶中枢に焼きついてなくなることがない。この料理は「イ・ボローニャ」にほれ込んで15年働き続けている小林清一シェフが、ずいぶん前に作ってくれたものだ。ピエモンテ州はアスティ郊外のこの名店へ行こうと考えている人は、ポルチーニの季節を狙ってみてはいかが? 


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.19 イタリア人とピッツァ

イタリア人とピッツァGli italiani e loro pizze

イタリア式ピッツァの食べ方Come si mangia la pizza in Italia

7月中旬から8月のイタリアは、バカンス大本番中。長く(最低でも2週間ほど)留守にする前に一度みんなで会っておこうよ、と友人、親戚、職場の同僚たちがこぞって街に繰り出す。こんなご時世ということもあり、高くて肩のこるレストランよりも、お手軽な食事処が大人気。イタリアのお手軽食事の代表といえば、そう、ピッツァだ。
ピッツァはご存じの通り、南イタリアはナポリの発祥と言われているけれど、実は今日本で流行しているふちがモチモチと膨らんだナポリ風のピッツァばかりがイタリアのピッツァではないのだ。全国各地に、その土地風のピッツァがあって、たとえば10年ほど前まで日本で主流だった薄くてパリパリのピッツァはローマ風のピッツァ。もっと昔の日本にあったパンピザのようにフカフカのピッツァは、リグーリア地方のフォカッチャ・ロッサだ。どこかのコックさんが、そういった土地土地で修業をして、出会ったピッツァを「本場イタリアのピッツァだよ」と持ち帰り、再現し、日本中に広まったんだろう。ちなみにナポリから遠く離れたトリノでも、本物のナポリ風ピッツァが流行し始めたのはほんの15年前程度だそうだから、イタリアの情報伝達スピードがいかにのろいのか、はたまた日本のそれが恐ろしく早いのか。
そんなわけで、最近の日本では、イタリアと遜色のない美味しいピッツァが食べられる。イタリアで修業をした日本人のピザ職人たちが、本場に負けない仕事をしてくれる。しかし、日本とイタリアで、ピッツァを食べるときの決定的な違いがある。それはなにか?
イタリア人たちは、あの大きなピッツァを、各自が一人一枚注文し、一人で抱えて食べる。これが、何人かでいろいろな種類を取ってワケワケする日本人との、大きな違いである。
「そうね、ヨーロッパの人たちはテーブルマナーにうるさいから、シェアをするのは行儀の悪いことなのよねー」などとうなずいている、そこのあなた。チッチッチ、それは、ちょっと違うんだなあー。
私の見る限り、食事中にテーブルを立たないとか、くちゃくちゃ音をさせないなど、最低限のことを守ったら、あまりうるさいことは言わないのがイタリア人だ。しかもカジュアルなピッツェリアで、シェアをするのは行儀が悪いだなんて、気取る必要もあまりない。
じゃあ、なぜ彼らがシェアするのを嫌がるのかといえば「自分の食べたい味を思いっきり堪能したいから」なのだと思う。これはB型という血液を持ち、イタリアで16年も平気で暮らせている私が言うのだから、かなり信憑性があると思う。だってB型人間はあるものが気にいったら、ずっと同じものを食べ続ける凝り性なところがあるからだ。少なくとも私と、そして全員B型の私の家族はみんな同じ性癖を持っている。で、イタリア人の多くはB型。そう考えると、彼らが一年に330日ぐらいトマトソース味のパスタやリゾットを食べ続け、ティラミスがおいしいとなったら、何十年でもずっと人気ドルチェの王座に輝き続けられる、その説明がつくではないか。だからピッツァも、「今夜はマルゲリータが食べたい」と思ったら、他の味は受け付けず、マルゲリータだけを堪能したい、そう考えるのがイタリア人なのだ。
というわけで、イタリアファンとして、本当にイタリアっぽくふるまうのなら、「ボナセーラ」の発音を磨いた後は、胃を拡張させ、ピッツァ一枚を食べきる消化力を身につける必要がありそう、かな?


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.18 フルーツの季節がやってきた!

フルーツの季節がやってきた!Arriva il momento della frutta!

様々なフルーツの様々な食べ方Tanta frutta in tanti modi

初夏から秋にかけては、おいしい果物が満載のイタリア。イチゴにチェリー、桃、あんず、スモモにぶどう、イチジク、メロン、スイカ等など、あんまりおいしくて、ご飯なんか食べている場合じゃない! というほどだ。
中でも筆頭に私があげたいのは桃。特に日本ではあまりお目にかかることのない黄桃Pesca Giallaは、噛めばプリプリ、口の中に溢れるジューシーな味と甘い香りで、一度食べたら忘れられないおいしさ。
なにを隠そう、私はこの黄桃がまた食べたいばかりに、黄桃のシーズンが終わるとあともう一年、もう一年とイタリア暮らしを延ばしに延ばし、ついには16年も居ついてしまったほどなのである。黄桃のバリエーションで、歯ごたえのカリカリッとしたネクタリンや、アンズと黄桃をかけあわせたペルコーカもおすすめ。
次に私が好きなのは、と個人的な意見にばかり走って申し訳ないけれど、あまりのおいしさに思い出すだけでも興奮してしまい、冷静で客観的な文章が書けないのだ。で、二番目に私があげたい果物は、イチジク。まず6月後半ごろから、日本では見かけることの少ない黄緑色のイチジクが出回り始める。外側は薄い黄緑色で、中は白く、中心部(花の部分)がピンク色と言う、それはそれは美しいお姿。それから少し遅れて、今度は日本でもポピュラーな黒イチジクが登場する。
黄緑色のイチジクは、味に当たりはずれもけっこうあるが、当たりに出会った日には、その甘く、香り高く、そしてとろける様な味わいは、得も言われぬおいしさだ。もう一個、またもう一個と中毒状態におちいってしまう。一方黒い方ははずれも少なく、安定したおいしさ、といったところ。
他にもおいしい果物は山積みだが、さて、これらの果物をイタリア人は生で食べるのはもちろん、お菓子に多用する。筆頭に挙げた黄桃は、ピエモンテの代表的なデザートの一つ「ペスカ・リピエーナ」=詰め物入り桃のオーブン焼きに欠かせない。桃を半分に割り、種を取ったくぼみの部分に、アマレット(アーモンドビスケットの一種)を砕き、卵やチョコレートと混ぜ合わせた詰め物を入れて、オーブンで焼いたものだ。桃の香りと甘み、チョコレートの苦み、杏仁豆腐のような風味が混ざり合って、不思議なおいしさ。ひんやりと冷たく冷やしていただきます。桃はその他、前回のケーキの話で書いた「クロスタータ」と呼ばれるフルーツトルタやマチェドニアなどにも活躍する。
イチジクは、ナッツや黒砂糖と一緒にオーブンで焼いたり、クラフティやトルタと、どんなお菓子にしてもおいしい。そうそう、シェフをしている私の夫は、黒イチジクをバターとブランデーでソテーして、生ハムと一緒に食べる前菜を作ってくれる。甘く薫り高いイチジクと生ハムの塩味、とろけるような食感が生むハーモニーは、絶品。日本でもぜひお試しください。
さてお菓子の他に、フルーツの食べ方で忘れてならないのはドライフルーツ、そしてフルーツのシロップ漬けだ。どちらも夏の旬まっさかりのものを干したり、シロップに漬け込んだりして、冬、特にクリスマスのご馳走として食べる保存食の代表格。だからちょっと前までのイタリアマンマは、春先から秋まで、いつも忙しかった。それぞれの野菜や果物が、それぞれの旬を迎える度に、保存食に仕込まなければならなかったからだ。「かった」、と私が過去形で書いているのは、最近のマンマたちは、あまりそういうものを作らなくなっているからだ。とにかく私が「マンマ・ドゥエ」と呼んでいる、私のイタリアのお母さんは、シロップ漬けをこんな風に作る。無農薬で育てた果物をよく洗って水けをふきとったら、たとえば桃など大柄の果物なら半割に、チェリーやプルーンならまるごと、煮沸消毒した保存瓶に詰め込む。家族みんなで食べるから、大きな大きな保存瓶だ。果物をぎっしりと詰めたら、砂糖と水1対1の割合で作ったシロップを瓶の7分目程度まで満たす。これを熱湯で30分から1時間湯せんで加熱する。こうすると、果物の歯ごたえを残す程度に火が通り、しかも瓶の中は真空状態になるので、長期保存が可能になるという具合。
クリスマスディナーの時にこれを開けていただく感動は、イタリア暮らしが16年になった今もちっとも薄れない。フレッシュな果物とはまた一味違うおいしさが、クリスマスの楽しさを盛り上げてくれる。
一方、多くの家庭ではクリスマスにはドライフルーツをいただく。今年の豊穣を感謝し、冬に備えて濃縮されたビタミンやミネラルをタップリ取ろうという意味があるという。ただしリンゴだけはクリスマスの日はタブー。アダムとイブの罪を思い起こさせるからだそうだ。









文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.17 イタリア ケーキ事情

イタリア ケーキ事情Circostanza Torta

自家製ケーキが一番!La torta fatta in casa e’ la piu’ buona!

イタリアのクリスマスは、パネットーネやパンドーロといった発酵生地のケーキで祝うことは、もはや日本のイタリア菓子ファンなら誰でも知っている常識。でも、誕生日や結婚式、様々なお祝いは、どんなケーキで祝うのかは意外と知られていない。今回はそんな疑問にお答えする、イタリアのケーキ事情にまつわるお話。 
イタリア人が大好きで、晴れの日に食べるケーキのナンバー1は、フルーツがたっぷりのった「トルタ・ディ・フルッタ」とか「クロスタータ・ディ・フルッタ」と呼ばれるケーキだと思う。イタリアで「パスタ・フロッラ」と呼ばれるトルタ生地を型に敷きつめて焼いた中に、カスタードクリームをたっぷり詰め、様々なフルーツを上にのせたものだ。クロスタータと呼ばれる場合は、生のフルーツではなくて、フルーツジャムをトルタ生地に詰めただけの場合も多い。とにかく、何の変哲もないフルーツタルトなのだが、新しいもの、珍しいものを次々と追いかける日本人と違い、イタリア人は昔から知っている馴染みの味が大好き。知らない味に挑戦するぐらいなら、毎日同じものを食べているほうがいい、と思うイタリア人はことのほか多い、はずだ。その証拠に、彼らは毎日毎日、一年に300日ぐらいはトマトソースのパスタを食べている。だからトルタ生地も、カスタードクリームも、そしてフルーツも、素朴でおいしくて、しかも「いつもの味」というところがポイントなのである。しかも見た目にはカラフルで美しいから、フェスタ(パーティー、お祭り)のあるところ、トルタ・ディ・フルッタあり、という感じで目にすることがとても多い。誕生日に限らず、結婚式も、開店祝いのパーティーでも、本当に頻繁に登場する。
もちろん、スポンジケーキを重ねて生クリームでデコレーションしたケーキが登場するパーティーもあるにはあるのだが、飾り付けも味も、今一つ洗練されていないものが多い。スポンジはパサパサで、それを補うためにリキュールをたっぷり過ぎるほどきかせたシロップがびしゃびしゃに浸してあり、そこに甘すぎる生クリームがどっかりとのっている。そんな感じだから、当のイタリア人たちもその手のケーキを「あんまり好きじゃない」という人が多い。フランス語でスポンジケーキのことを「パン・ディ・ジェノワーズ」、つまりジェノヴァのパンと呼ぶのにもかかわらず、スポンジケーキはイタリアではお菓子界のメイン街道を歩いていない、だからスポンジを作る技術もレシピも、今一つ研究されていないんだなあ、という印象を受けるのは、私だけではないはずだ。
だから日本人が大好きなイチゴのショートケーキはイタリアでは見かけないし、VIPやセレブの結婚式でもない限り、タワーのようなウエディングケーキや、かわいいクロッカンブッシュなどもない。
一方、普段のおやつに食べるなら、卵と粉、砂糖とバターの生地に、たっぷりのリンゴを混ぜ込んで焼いた「トルタ・ディ・メーラ」。ふわふわと軽くて、リンゴから出た汁気がしっとりして、地味だけれどあとひくおいしさ。軽いので朝ご飯にも食べたり。それからピエモンテの人が大好きなのは、ヘーゼルナッツの粉で作る「トルタ・ディ・ノッチョーラ」。みかけはただ茶色いだけのケーキなのだが、ノッチョーラ=ヘーゼルナッツの香りが口の中に充満し、手作りっぽいもそもそした感じが、ほのぼとする。チョコレートが大好きなトリノの人たちは、ここでもチョコレートを取りだす。ドロドロに溶かしたブラックチョコレートをこのケーキにこれでもか! というほどかけて食べるのは、トリノの老舗カフェ「アル・ビチェリン」のおやつの名品だ。
イタリア料理の最大の特徴は、基本が家庭料理であり、素材を最大限に生かしてあまり手を加えないことだ。だからプロの仕事と家庭のマンマの料理を隔てる壁は、限りなく低い。プロのお菓子屋さんが作るお菓子も、フランス菓子や日本のケーキに比べて技術的にはとてもシンプルなのは、そういう理由なんじゃないだろうか(もちろん有名パティシェや高級店では、話は別)。だからといって、イタリアのお菓子がおいしさでも劣るかというとまったくそんなことはなく、逆に毎日何度でも食べたくなる魅力があるということは、このページの読者であれば、皆さんご存じのはずですね。









文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.15 日曜日の過ごし方

日曜日の過ごし方Come trascorrere una domenica

お菓子を持って行くわ!Ti porto io i pasticcini!

冬は雪山、夏は海、とヴァカンスするために生きているといっても過言ではないイタリア人ではあるけれど、それでも彼らが一番好きな週末の過ごし方といえば、「友人」または「親戚」同士誰かの家に集まって食事をすること、ではないかと思う。ちょっと前までは家でするのが常識だったクリスマスディナーなんかも外食にする人が増えているとはいえ、気のおけない人たちだけで食べて騒いでくつろげる「おうちごはんが一番」と考えるのは日本人だけではないというわけだ。そうそう、イタリア人という人達はたいてい自分の家の中を驚くほどきれいにしているので、いつお客さんが来たってだいじょーぶ。公共の場所ではあまり気を使わないのだけれど。その点、日本人と正反対なのである。
では、食事に招待された時、イタリア人たちはどうするか。ただ飯はいくら友人同士、親戚同士といってもNG。親しき仲にも礼儀ありと考えるのはイタリア人も同様で、何か手土産を持って行くのが常識。で、イタリアでよく使われる手といえば、
  1. 準備されている食べ物やワインの邪魔をしない、何にでもあいそうな無難なワイン、もしくは文句のつけようのないすごいワインをお土産にする。料理に合わせて主人がワインもそろえている可能性がある場合は、シャンパンやデザートワイン、または食後のリキュールなど、そこまではなかなか手が回りそうもない一本を。
  2. 前菜やおつまみなど、もう一品増えても構わないようなもので、○○のおみやげ、とか××の自家製など話題を提供してくれるような食べ物。
  3. 食後のデザートも終わった後で、だらだらとつまみながら楽しめるお菓子類。お腹には軽く、目に魅惑的なものが喜ばれる。イタリアのレストランでデザートの後、コーヒーと一緒にサービスされる「ピッコラ・パスティッチェリア」Piccola Pasticceria(フランス語でいうプチガトー)に相当するもの。
以上3つの作戦だ。
トリノは、スイーツの都ともいわれるほど、おいしいお菓子屋さんがたくさんある。イタリアを統一したサヴォイア家がトリノを居城としており、王政が廃止されたときに王様のお菓子職人が街に出たことで発達したという。その辺は、ルイ王朝とパリの食の発達と事情が似ていなくもない。
この数あるお菓子屋さんだが、イタリアで唯一といっていいぐらい、日曜日に店を開けている職種である。なぜかというと、そう、日曜日のお昼に食事におよばれした人たちが、お土産用のお菓子を買いにくるからだ。というわけで、イタリアのお菓子屋さんは月曜が休みなことが多い。旅行した時のご参考まで。
 圧倒的に人気なのは「パスティッチーニ」Pasticcini(小さなお菓子たち)といって、プチシューやプチタルトの類、ビスケットやチョコレートボンボンだ。最初に食べる人数を言うと、店の人が「これぐらい?」なんていって、金色にコーティングされた紙のお盆をみせてくれる。あ、そうね、それぐらいで、とか、いえ、もうちょっと小さめで、などと言ってサイズを決めたら、ショーケースの中に並んでいるお菓子たちを指さして注文する。このスタイルはイタリア全国的に同じだと思うけれど、トリノではこのプチシューやプチタルトがことのほか小さく、おいしいので有名だ。
トリノ方言で「ビニョーレ」と呼ばれるこのお菓子たちは、王家のお后やお姫様たちが、お口をお汚しにならないようにと、一口サイズが考案されたのだという。それにしても、サヴォイア家の女性たちはずいぶんお口が小さかったのかな、王宮広場にある老舗『バラッティ・エ・ミラノ』なんかでは一つが親指の先ほども小さい。このサイズで、アルプスでとれるおいしい生クリームが詰まったもの、ピンクや黄色に色づけられたフォンダンでコーティングしてあるもの、フンギポルチーニの形をしてチョコレートクリームが詰めてあるものなど様々なプチシューがあって、目にも舌にも楽しいのである。トリノの老舗お菓子屋さんの多くがカフェも兼ねているから、コーヒーを飲みに入って、思わず「ビニョーレ」も2つ3つ食べてしまった、そんなトリネーゼはとても多い。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.16 イタリアとお菓子の甘い歴史

イタリアとお菓子の甘い歴史La dolce storia di Torino e dei suoi Dolci

150年おめでとう!Viva 150 anni!

2011年3月17日。その日、イタリアは統一150周年ということで、全国でお祝いのイベントが企画された。中でもトリノは、統一がなされた中心地だったから、トリノの人たちはそれをとても誇りにしていて、150周年のお祭りも大いに盛り上がった。前日の夜から、"ノッテ・ビアンコ“ (白夜)ということで、街中のすべてのお店やミュージアムが24時間営業し、各ピアッツァ(広場)ではご馳走やワインを人々にふるまうブースが並んだ。花火や音楽が溢れ、街中の建物の窓という窓にトリコローレの旗が飾られた。そうそう、トリコローレとは「3色旗」、つまりイタリアの国旗のこと。日本人が知っている「トリコロール」はフランス語だから赤、白、青だけれど、イタリア語で「トリコローレ」というと赤、白、緑なのである。
へえ、イタリアって統一されてたった150年なの? じゃあ、その前はイタリアじゃなかったの? だって紀元前より前の古代ローマ時代だって、イタリアだったんじゃないの??? 将来ヨーロッパに住むことになろうとは夢にも思わなかった少女時代の私は、覚えなきゃいけない地名や人の範囲が広すぎるからいや、と世界史は避けて日本史で受験した。だからイタリアの歴史なんて、ほとんど知らなかったに等しい私は、トリノに住んで初めて、少しイタリアの歴史がわかってきた。今回はそんな私の少ない歴史知識を、ちょっとだけおすそわけです。
さて。150年より前のイタリアは、たくさんの小国に分かれ、ヨーロッパ列強のいろいろな国から征服されていたりして、それぞれがバラバラに存在していた。たとえば海運国として世界一の勢力を誇ったヴェネツィア共和国とか、メディチ家で有名なトスカーナ大公国、ナポリ王国などといった具合だ。そう、ちょうど日本が江戸時代で、それぞれの藩に分かれていたのと似ている。
ところがピエモンテとサルディニアを統治していたサヴォイア家の王様が、1861年にイタリア王国として一つにまとめることに成功し、初めてイタリアは一つの国になった。あら、日本に似ているといえば、徳川家の最後の将軍・慶喜が大政奉還し、明治維新がなったのが1867年。イタリア統一年ととても近い。なんだかイタリアと日本はいろいろなことが似ているのである。
さて、日本では幕末の騒乱期で龍馬さんが駆け回り、長崎あたりではポルトガルやオランダから輸入された「かすていら」や「こんぺいとう」に人々が舌鼓を打っていた頃、イタリアの首都となったトリノの宮廷では、さまざまなお菓子が生まれていた。
たとえば「バーチ・ディ・ダーマ」。1852年だから、統一の約10年前だけれど、すでにサヴォイア王国の王様となっていたヴィットーリオ・エマヌエレ2世という人はずいぶん食いしん坊だったようで、ある晩秋の夜のこと、お抱えの料理人に、おいしいお菓子はないのかね、とねだったという。何かちょっと、いつもと違う、おいしいものを、と。そこで料理人はアーモンド、ヘーゼルナッツ、アンズの種、バター、チョコレート、砂糖といったその場にあった材料を駆使して、素敵なビスケットを作り上げた。それは小さなドーム型のビスケットを二つ、チョコレートでつなぎ合わせたもので、まるで貴婦人(ダーマ)がキス(バーチ)をしているように見えたかわいらしさから「バーチ・ディ・ダーマ」と名付けられたとか。現在ではイタリア全土に、二つのビスケットを各種クリームでつなぎ合わせたいろいろなバーチが存在する。たとえば「バーチ・ディ・リグーリア」(リグーリア州のバーチ)というと、濃厚なチョコレートビスケットを濃厚なチョコレートクリームでつなぎ合わせたものだ。
今ではイタリアのどこへ行ってもあるプチフールがトリノでは「ビニョーレ」と呼ばれ、高貴な女性たちのお口を汚さないようにと、小さく小さく作られるようになったという話は、前回に書いたとおり。
宮廷内ではないけれど、王様に捧げられ、生まれたお菓子もある。ブーメラン?のような変な形をした「クルミリ」というビスケットは、初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエレが亡くなった1878年にドメニコ・ロッシというお菓子屋さんが特許を申請した。以後、現在もそのおいしさが守られ続けているという伝統のあるお菓子だ。材料は卵、粉、バター、砂糖といたってシンプルなのだが、噛むとパリッと割れるのに、口の中ではホロリとソフトな感触が、やめられないおいしさ。へんてこな形は、実は王様の髭の形を模したものだとか。
こうして生まれた数多くのお菓子たちが、現代の一般社会に広がり、全イタリア的なお菓子として愛されている。という具合に、イタリア統一とお菓子の間には、切っても切れない甘い関係があるのでした。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.14 ヴェネツィアのカルネバーレ

ヴェネツィアのカルネバーレCarnevale di Venezia

仮面とフリッテッレと。Le maschere e le frittelle

クリスマス、そして年末年始の、一連のお祭り騒ぎの時期が過ぎ、ちょっと平穏に1月が過ぎたかと思うと、あっという間にまた、イタリアはお祭りに突入する。そう、カルネバーレ(カーニバル=謝肉祭)である。カルネバーレの意味や歴史などは、去年の今頃このコーナーでご紹介させていただいた。カルネバーレのお祭りといえばヴェネツィアのそれが世界的に有名。というわけで、今回はヴェネツィアのカーニバルのお話を。
世界三大カーニバルの一つと言われるヴェネツィアのカーニバルは、少なくとも900年前にはすでに行われていたと、公式サイトの歴史ページに書かれている。それが現在のようにマスクを着けて仮装して練り歩くようになったのは、貴族たちが身分を隠して庶民と交わって遊ぶようになったのが始まりだという一説がある。アドリア海の女王、世界一の海運国として繁栄したヴェネツィアが、アメリカ大陸の発見によってその地位を失ったものの、ヨーロッパ一発達した文化はさらに爛熟し、その挙句に風紀が乱れていったのだろうか。そういえばマリーアントワネットも遊び好きが高じて、仮面をつけてパリの街へお忍びで遊びに行った、なんていう話が『ベルばら』にあったっけ。
もう一つの説は、寡頭政治で押さえつけられていた市民がうっぷんを晴らすため、カルネバーレの時期だけマントやマスケラ(仮面)で身分を隠し、支配階級をからかっていたことから発祥したとするものだ。生卵などをぶつけられたりしていた支配階級たちも、「年に一度、遊ばないでどうする」と許していたという。懐が深いというか、遊び好きな貴族たち、さすがはイタリアというか、ヴェネツィアというか。
現代のヴェネツィアの仮装行列も、ちょっと他の都市のそれとは比べ物にならないすごさだ。ヴェネツィア市内はもちろん、各地から集まった人々はそれぞれ趣向を凝らしに凝らした仮装をして、誇らしそうに練り歩く。中世の貴族に扮した人が多いが、人形に扮していたり、動物だったり、その他、一言では形容できない、さまざまな格好をした人たちが広場にも、狭い道にも、橋の上にも溢れかえるのだ。他のイタリアの各都市でも、カルネバーレの時期には仮装行列はもちろんあるのだが、ヴェネツィアのそれとは温度が全然違う。他の街では、町の歴史にそった仮装だったり、もしくは子供たちのお遊び仮装で、それはそれなりに楽しそうではあるけれど、なんとなく受け身な感じ。一方ヴェネツィアではみんながまるで、ステージを練り歩くファッションモデルになったように、ギラギラと「私を見て見て」光線を発しながら歩いている。
そんな仮装行列の合間に、ヴェネツィアの街のショーウィンドウを眺めながら歩くと、特に目を惹かれるのがお菓子屋さんだ。ドーナツ生地を丸めて揚げ、砂糖をまぶしたような「ヴェベツィア風フリッテッレ」はカルネバーレの時期だけにお目見えする、ヴェネツィアのお菓子。お菓子屋さんによって多少レシピは違うのだろうが、プレーンなもの、レーズンや松の実が入ったリッチなもの、中にはカスタードクリームを詰めたものなどもあって、揚げ菓子が大好きな私はお菓子屋さんを見るたびに、立ち止まり、中に入り、買わずにはいられない。ヴェネツィアに限らずカルネバーレのお菓子に揚げ菓子が多いのは、カロリー的にも材料的にもリッチなものを食べて、カルネバーレの後にやってくる断食に備えましょうということ。私もクリスチャンではないけれど、明日から断食すればいいや、と買い食いが止まらないのであった。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.13 トリノとチョコレートの濃密な関係

トリノとチョコレートの濃密な関係Legame denso tra Torino e Cioccolatini

私の身体にはジャンドゥイオットが流れてるのよ!!Ho un po’ di Giandujotti nel mio sangue!!

私が暮らしているトリノには、やたらとチョコレートショップが多い。中心街をちょっと歩いただけでも、ここにも、あそこにも、あら、そこにも、という具合にチョコレートショップがあって、それはもう、旅人も歩けばチョコレート屋に当たる、という状態。日本の高級チョコレート市場は、ほとんどをフランスとベルギーが占めているが、そこでがんばる、数少ないイタリア高級ブランド「グイド・ゴビーノ」もあれば、ここのところ日本で売り出し中の「ヴェンキ」もある。その他にも創業100年を超えるような老舗、若手ショコラティエの新しいブティックなどなど、本当にチョコレート屋さんだらけのトリノである。
なぜそんなことになっているかというと、トリノとカカオの歴史に深―い関係があるに違いない、と私は思っている。
カカオのヨーロパ上陸は、1528年ごろ、新大陸から戻ったヘルナン・コルテスという人がスペイン宮廷にもたらしたのが最初とされているが、当時のスペイン王、カルロ5世という人はケチだったのか食い意地がはっていたのか、新大陸からやってきたそのおいしい飲み物(カカオは当時飲み物して使われており、固形チョコレートが発明されるのはずっと後)をかなり長い間スペイン王家だけで独占していたという。
そこでトリノのサヴォイア家の登場だ。サヴォイア家というのは1861年にイタリアを統一して「イタリア」という国を作った王家だが、トリノを本拠として1000年ぐらい続いた家系なので、トリノの人たちはそれをとても誇りにしている。当時のサヴォイア家の王子様、エマヌエレ・フィルベルトという人がスペイン軍に従軍し、一仕事終えて帰国する際カカオをもらって帰ったのだそうだ。それが1559年の話。このフィルベルトさんは、スペインの王様より気前がよかったようで、まずは貴族仲間にカカオをお勧めし、それが徐々に一般にも広まって、以後トリノではずっと、飲み物としてのカカオが流行し、愛されてきた。
今でも冬の飲み物といえばチョコレートを溶かした真っ黒い「チョコラータ・カルダ」だし、最近日本でも知られている「ビチェリン」は、この頃生まれたチョコレートベースのトリノ名物ドリンク。
ようやく700年代になると、トリノは他のヨーロッパの都市に先駆けて固形チョコレートの生産を始めたと言われているが、ここで登場するのがジャンドゥイオットである。日本にもショップをだしているトリノのチョコレート会社「カファレル」が、創業から間もない頃、イタリア統一の混乱でカカオが十分に輸入されないという緊急事態に陥った。その時、ええい! カカオが足りないならピエモンテ名産のノッチョーラ(ヘーゼルナッツ)で水増ししちゃえ! と発明したのがジャンドゥイオット。香ばしいヘーゼルナッツとカカオが混ざり合ったクリーミーなおいしさは、トリノ名物のチョコレートとして爆発的な人気を博し、全イタリアに広まった。今のトリノでは、ジャンドゥイオットを売っていないチョコレートショップを探すほうが難しいほど、どこへ行っても売っている。
と、こんな歴史を持つトリノ人たちの血の中には、ジャンドゥイオットが混ざっているのではないか、DNAにはカカオ因子が含まれているのではないか、と疑いたくなることが多い。彼らはジャンドゥイオットを前にすると理性は吹っ飛び、前後不覚に陥る。たとえばわが夫・トリノ人は10歳になる娘が大事にしまっておくジャンドゥイオットやチョコレートを残さず食べてしまい、パパ大嫌いと大泣きされるのは日常茶飯事。ああ、ごめんよごめんよ、パパが新しく買ってあげるよ、と買ってきてはまた自分で食べている。なんて大人げない、情けないと思っていたら、友人の夫も、またその親戚も、みんな似たような状況だという。この娘が9年前、復活祭にチョコレートの大きな卵をプレゼントされ、何であるかも分からないながらパクッと噛みついた写真は、この連載の第3回「復活祭とチョコレート」に使用させていただいた。あれこそチョコレートをDNAに持って生まれた者の本能としかいいようがないではないか。
こんな人たちが暮らすトリノだから、チョコレートを食べまくるには最適な環境が整っている。チョコレートを愛するそこのあなた、ぜひ一度お越しください。











文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住