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Vol.16 イタリアとお菓子の甘い歴史

イタリアとお菓子の甘い歴史La dolce storia di Torino e dei suoi Dolci

150年おめでとう!Viva 150 anni!

2011年3月17日。その日、イタリアは統一150周年ということで、全国でお祝いのイベントが企画された。中でもトリノは、統一がなされた中心地だったから、トリノの人たちはそれをとても誇りにしていて、150周年のお祭りも大いに盛り上がった。前日の夜から、"ノッテ・ビアンコ“ (白夜)ということで、街中のすべてのお店やミュージアムが24時間営業し、各ピアッツァ(広場)ではご馳走やワインを人々にふるまうブースが並んだ。花火や音楽が溢れ、街中の建物の窓という窓にトリコローレの旗が飾られた。そうそう、トリコローレとは「3色旗」、つまりイタリアの国旗のこと。日本人が知っている「トリコロール」はフランス語だから赤、白、青だけれど、イタリア語で「トリコローレ」というと赤、白、緑なのである。
へえ、イタリアって統一されてたった150年なの? じゃあ、その前はイタリアじゃなかったの? だって紀元前より前の古代ローマ時代だって、イタリアだったんじゃないの??? 将来ヨーロッパに住むことになろうとは夢にも思わなかった少女時代の私は、覚えなきゃいけない地名や人の範囲が広すぎるからいや、と世界史は避けて日本史で受験した。だからイタリアの歴史なんて、ほとんど知らなかったに等しい私は、トリノに住んで初めて、少しイタリアの歴史がわかってきた。今回はそんな私の少ない歴史知識を、ちょっとだけおすそわけです。
さて。150年より前のイタリアは、たくさんの小国に分かれ、ヨーロッパ列強のいろいろな国から征服されていたりして、それぞれがバラバラに存在していた。たとえば海運国として世界一の勢力を誇ったヴェネツィア共和国とか、メディチ家で有名なトスカーナ大公国、ナポリ王国などといった具合だ。そう、ちょうど日本が江戸時代で、それぞれの藩に分かれていたのと似ている。
ところがピエモンテとサルディニアを統治していたサヴォイア家の王様が、1861年にイタリア王国として一つにまとめることに成功し、初めてイタリアは一つの国になった。あら、日本に似ているといえば、徳川家の最後の将軍・慶喜が大政奉還し、明治維新がなったのが1867年。イタリア統一年ととても近い。なんだかイタリアと日本はいろいろなことが似ているのである。
さて、日本では幕末の騒乱期で龍馬さんが駆け回り、長崎あたりではポルトガルやオランダから輸入された「かすていら」や「こんぺいとう」に人々が舌鼓を打っていた頃、イタリアの首都となったトリノの宮廷では、さまざまなお菓子が生まれていた。
たとえば「バーチ・ディ・ダーマ」。1852年だから、統一の約10年前だけれど、すでにサヴォイア王国の王様となっていたヴィットーリオ・エマヌエレ2世という人はずいぶん食いしん坊だったようで、ある晩秋の夜のこと、お抱えの料理人に、おいしいお菓子はないのかね、とねだったという。何かちょっと、いつもと違う、おいしいものを、と。そこで料理人はアーモンド、ヘーゼルナッツ、アンズの種、バター、チョコレート、砂糖といったその場にあった材料を駆使して、素敵なビスケットを作り上げた。それは小さなドーム型のビスケットを二つ、チョコレートでつなぎ合わせたもので、まるで貴婦人(ダーマ)がキス(バーチ)をしているように見えたかわいらしさから「バーチ・ディ・ダーマ」と名付けられたとか。現在ではイタリア全土に、二つのビスケットを各種クリームでつなぎ合わせたいろいろなバーチが存在する。たとえば「バーチ・ディ・リグーリア」(リグーリア州のバーチ)というと、濃厚なチョコレートビスケットを濃厚なチョコレートクリームでつなぎ合わせたものだ。
今ではイタリアのどこへ行ってもあるプチフールがトリノでは「ビニョーレ」と呼ばれ、高貴な女性たちのお口を汚さないようにと、小さく小さく作られるようになったという話は、前回に書いたとおり。
宮廷内ではないけれど、王様に捧げられ、生まれたお菓子もある。ブーメラン?のような変な形をした「クルミリ」というビスケットは、初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエレが亡くなった1878年にドメニコ・ロッシというお菓子屋さんが特許を申請した。以後、現在もそのおいしさが守られ続けているという伝統のあるお菓子だ。材料は卵、粉、バター、砂糖といたってシンプルなのだが、噛むとパリッと割れるのに、口の中ではホロリとソフトな感触が、やめられないおいしさ。へんてこな形は、実は王様の髭の形を模したものだとか。
こうして生まれた数多くのお菓子たちが、現代の一般社会に広がり、全イタリア的なお菓子として愛されている。という具合に、イタリア統一とお菓子の間には、切っても切れない甘い関係があるのでした。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住