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Vol.48 クリスマス、そしてサンタクロース

クリスマス、そしてサンタクロース。
Natala e Babbo Natale

イタリア式サンタの楽しみ方
Modo di godere Babbo Natale alla italiana

イタリアではサンタクロースのことを「バッボ・ナターレ=Babbo Natale」と呼ぶ。バッボはイタリア語でお父さん、ナターレはクリスマスだから、さしずめ「クリスマスのパパ」といったところ。

もう一つ「ジェズー・バンビーノ」という言い方もあって、「子供(時代の)イエス様」。

12月25日に産まれた赤ちゃんイエス様が人々に祝福をもたらしたと考える、ちょっと古風で宗教色の強い言い方だ。

というわけで今回は、「イタリアのサンタクロースは、どんなふうにプレゼントを持って来て、何を食べるか」について。

サンタが食べるもの??? と思った方は、どうぞ最後まで読んでいってくださいね。

サンタさんを気持ちよく迎えるには(本当は、キリスト様の降誕をお祝いするのが主眼なんだけど)、まずは家や街中を美しく、楽しく飾りつけなくてはいけません。

カソリックが一般的なイタリアなどの国では、12月8日に飾り付けを始めるのが正しいとされている。

なぜかと言うと、この日は「インマコラータ・コンチェツィオーネ=無原罪懐胎=とても簡単に言っちゃうと、マリア様が汚れなきままイエス様を身ごもったこと」の記念日で祝日だからだ。

誕生日を祝うために、お腹に宿ったところから始めるというわけ。


飾りといえば、クリスマスツリーに靴下をぶらさげてプレゼントを待つという習慣は、イタリアのクリスマスにはない。

靴下にプレゼントを入れてくれるのはサンタクロースではなく、1月6日のエピファニアという日にやってくる「ベファーナ」という魔法使いのおばあさんだからだ。

この日はカソリック的には「公現祭」と呼ばれる日で、産まれたばかりのイエス様に東方の三博士がお祝いをもってやってきた日とされている。

よい子にはお菓子が、悪い子には炭が、靴下の中に入れられる。

実際にはよい子にも炭の形をした砂糖菓子を配ってドキッとさせたりして、イタリア人の大人達といったら、大人げないと言うかいたずら好きというか。

とにかくそんなわけで、クリスマスツリーもその他の飾りも、1月7日まで出しておくのがしきたりなのだ。

さて、12月24日の夜。いよいよサンタさんを迎える本番である。

どんなふうに迎えるかは、各家庭によっていろいろ工夫があっておもしろい。

子供がいる家庭ではできるだけ夢を見られるように、大人だけの家庭でもちょっとメルヘンチックに。

子供がいる我が家では毎年、24日の夕食が終わったら「サンタさんの姿を見た子はプレゼントはもらえない」と娘を脅して早く寝かしつけ、熟睡するまで待ってから「仕事」を始めることになっている。

まずは隠しておいたプレゼントを置く。

枕元に置くと、子供が寝ているフリをしていた場合に見られる危険性も大きいので、居間のツリーの下とか、いつだったかはバルコニーに置いてみたこともあったっけ。

サンタさん、時間がなくて中まで入って来れなかったんだって、とかなんとか言って。

そして世界中の子供のところを回って、お腹がすいて疲れているだろうサンタさんのために、娘が寝る前に用意したトレーにちょっと細工をする。

お皿にはビスケットが3枚ほど入っているのだが、それを一枚半ほど取りのぞく。ミルクも半分ぐらい飲み干す。

残すのは忙しいから全部は食べていられない、でもありがたくいただきましたよ、という小演出である。ビスケットはもちろん、シナモンのきいたクリスマスビスケット。

そうそう、トナカイのために外に置いておいた人参も食べたようにみせかけるのも忘れない。



イタリアに来て間もない頃、独身だった私を友人家族が山の別荘で祝うクリスマスに招待してくれた。24日の夕食が終わり、10時過ぎに家族全員で教会のミサに出かける。

帰り道、急に車を止めたかと思うと、お父さんが8歳の娘に向かって「さやかと一緒に歩いて帰っておいで。プレゼントを配っているバッボナターレに行き会えるかもしれないよ」、そう言って私にウインクしてみせた。

雪一色の村の道を、8歳の女の子と手をつないで歩いていると、満点の星空に一陣の風が吹いて、なんだか本当にサンタさんが通っていったような感じがした。

急いで家に戻ってみると「たった今、サンタさんが来たのよ、会わなかった?」と言うとぼけ顔のママとパパとプレゼントが待っていた。

こんなふうに子供をいかに楽しく、幸せにだますかに一生懸命になる。これがイタリアの大人達の、知られざるクリスマスの楽しみなのだ。

娘が13歳になった今年、まだだませるか、どうやってだまそうか、私も思案しているところである。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.47 幸せのコンフェット

幸せのコンフェット 

Confetto dela Felicita'


毎日食べたらだめ?

Non posso mangiarlo tutti i giorni?

前回、砂糖菓子を作る店をイタリアではコンフェッテリアと呼ぶんですよ、と書いていて気がついた。

コンフェッテリアの名前の元である「コンフェット」について書いていないじゃないか!と。

コンフェットとは現代のイタリア語ではドラジェのこと。

アーモンドを砂糖でつるつるにコーティングした、結婚式のお土産などとしてお目にかかることのある、あのお菓子だ。

コンフェットはイタリアでも日常的に食べるお菓子というよりは、結婚式や子供の洗礼式などの参会者に配られる『儀礼的な』お菓子である、と私もずっとそう思っていた。

食べればまあまあ美味しいけれど、わざわざ買うほどのこともない、と。

ところが今年の夏、とても美味しいコンフェットに、結婚式とはまったくほど遠いシチュエーションで出会ってしまった。

それは、12歳になる娘にポンペイの遺跡を見せるため、ローマからのバスツアーに参加したときのこと。

今までずっと私はツアー旅行に対して「自分で自由に旅するから楽しいのに!」と偏見を持っていたのだが、私たちがローマに滞在していた一週間、何十年ぶりとかいう異様な暑さがイタリア全土を襲っていて、そんな中、ローマからコトコト電車を乗り継ぎ、はては日陰のないポンペイ遺跡をあても知識もなくさまようのは無理!とツアーに申し込むことにしたのだった。

クーラーの効いた快適なバスに揺られ、ガイドさんの素晴らしい説明でポンペイへの知識も深め、満足した帰路、バスはいきなり高速を降り、とあるお土産物屋さんに停車した。

そう、噂のお土産ショッピング攻撃である。

ははーん、そうはいきませんよ、買いませんよ!と思いつつ、試食を薦められたお菓子につい手を伸ばしてしまう食い意地のはった私。

おいしい!

それは見た目は全く普通の、真っ白いコンフェット(ドラジェ)であった。

でもカリッと砂糖の殻を一口噛むと、中にはレモン味のホワイトチョコレートでくるまれたアーモンドが。

甘くて、かつレモンのさわやかさとアーモンドの香ばしさが口の中で混ざり合い、レモンの名産地ソレントやアマルフィの風景が蘇るような味わいである。

ツアーのお土産作戦に引っかかるのは悔しいけど、おいしいからOK、とごっそり大人買いをしてしまった私であった。

調べてみると、イタリアのアブルッツォ州スルモナというところが、現代的なコンフェットの生まれ故郷だということだ。

もともとはアラブで、苦い薬をハチミツでくるんでいたのが始まりだとか、紀元前の古代ローマではすでに結婚式等で配られていたなど諸説あるが、15世紀に西インド諸島から砂糖がもたらされた結果、このスルモナでコンフェットの生産が開始されたそうだ。

今でもスルモナのコンフェットは有名で、なんとコンフェットのミュージアムまである。

こんなにおいしいコンフェット、よく探せばスーパーにも売っているし、コンフェッテリアへ行けば普通に買うこともできる。

だが、北イタリアでは冒頭に書いたように結婚式や、洗礼式の"引き出物”に配られたのをたまに食べる、ことの方が多い。

アーモンドの実の半分ずつを砂糖で一つにくっつけて作ることから、カップルの結びつきのシンボルとされているそうだ。

結婚式や洗礼式等のパーティーのお土産に、チュールなどに美しくラッピングされて配られる。

私の住むトリノにも、ボンボニエーレ(コンフェットをラッピングしたもの)専門の店があって、結婚を控えたカップルや、洗礼式の準備に忙しい若いお母さんたちが、思い思いのラッピングを注文しに行くのだ。

面白いのは色のルールで、結婚式用には花嫁の純粋さを象徴する白、と決められている。

洗礼式は女の子ならピンク(女の幸せを願う色! 古くさい?)男の子なら水色(空のように高く素晴らしい将来を願う色!!)。

そして婚約祝いは緑、大学卒業と誕生祝いは赤、結婚5周年は紫、10周年は黄色、とだんだんどぎつい色になるあたり、あまり使われることがないのかも? 

ところで、コンフェット、コンフェットと書いていて気がついたのだが、これってこんぺいとうの語源? 調べてみると、やっぱり。

ポルトガル人が1500年代に日本に上陸した際に持ち込んだ砂糖菓子コンフェイトCONFEITO(コンフェットのポルトガル語)は、織田信長にも献上されたという説もある。

ちょうど同じ頃、メディチ家のお姫様がフランス宮廷に嫁ぐ時にコンフェットを持ち込んで広めたとも言われている。

そうしてルイ16世やナポレオンもお気に入りのお菓子となったとか。

こんなにすごい歴史もあって、しかもこんなにおいしいんだから、もっと食べないともったいないじゃない、と言い訳しながら、例のレモン風味のコンフェットをオンラインで注文する私であった。



文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住


Vol.46 トリノの素敵なキャンディ屋さん

トリノの素敵なキャンディ屋さん

Passeggiare in Torino e' il momento dolce e felice


トリノ散歩は甘くて幸せ

Passeggiare in Torino e' il momento dolce e felice

トリノの街中には合計11キロに渡ると言われる屋根付きの歩道があって、それはイタリアを統一した王様が、散歩好きな女王様のために、雨が降っても散歩ができるように作ったと言われている。

女王様も美しいお菓子屋さんのショーウィンドウを眺め歩いて、お腹を鳴らしていたんだろうか?と、思わせるほど美しいショーウィンドウを誇る、 老舗のお菓子屋さんたちがあちこちにある。

お菓子屋さんと一口に言ってもPasticceriaパスティッチェリアとConfetteriaコンフェッテリア、cioccolateriaチョコラテリアなどに分類されている。

 パスティッチェリアとは粉もののお菓子、ケーキやトルタ、ビスケット、プチフールからチョコレートにフルーツの砂糖漬けなど甘味全般を扱う店ということのようで、 一方コンフェッテリアというと、砂糖菓子、つまりアーモンドの砂糖がけとかマロングラッセ、そしてキャンディ類を売る店と限定されている。

チョコラテリアはチョコレートショップだ。 もちろんいろいろ兼ねているお店もあるので、そういうお店にいくと目移りしてしかたがない。




どのお店も思い思いの、カラフルな、素敵で楽しいショーウィンドウで目を楽しませてくれるが、私が特に好きなのはトリノの老舗中の老舗『ストラッタ』。 

1836年の創業で、磨き込まれた木のカウンターや棚に、ミモザを模した砂糖粒、 紫のスミレやピンクのバラの砂糖がけなどなど、宝石のように美しいキャンディーが並べてあって、ため息がでるようなおいしさ、いえいえ、美しさだ。 中でも特に私が気に入っているのは、「Rosolioロゾーリオ」と呼ばれる小さな小さな砂糖の玉。

 砂糖でできた外側はとてももろくて、口に入れて軽く噛むとシャクっと壊れ、中からシロップがあふれ出る。 花の香り、フルーツの味などあってとても美味しいし、どれを口に入れようか、悩むのもまた楽しい。

こんなふうに様々な色と形のキャンディーの中から、今日はどれにしようかな、と悩みながら選ぶのも楽しければ、小さな袋に入れてもらって買って帰ったキャンディを、 お気に入りのキャンディーケースに移し替えるのも優雅な気分。 

コンビニや駅のキヨスクで買ったキャンディを、電車の中でガリガリ食べていたOL時代(私にもそんな時代がありました)も、それはそれで楽しく、おいしかったけれど。


このお店ができた1836年頃と言えば、イタリアがまだイタリアとして統一されておらず、 トリノには王様や貴族たちがたくさんいた時代。

 あの店は王様御用達」とか「あのキャンディは女王様のお気に入り」なんて噂を聞いて、他の貴族の女性たちが真似をして流行になった、なんてこともあったに違いない。

 現代人がセレブと同じものを買ったり着たりしたいのと、きっと同じだよね。

11世紀頃に、十字軍が東方からサトウキビの塊を持って帰ったのが、キャンディの原型であると言われている。

 だからイタリア語のキャンディ「Caramellaカラメッラ」はラテン語の「Canna mela」、ハチミツのチューブ、という意味の言葉から来ているそうだ。

 17,18世紀頃には砂糖の精製技術が向上しキャンディが産まれるのだが、それでも初期のキャンディは今のように誰でも食べられるお手軽な甘味ではなく、 高貴な人にしか手の届かない高価な、大切なものだったのだそうだ。 

だからトリノの老舗にも、王侯貴族たち限れた人たちしか買いに行けなかったに違いない。

それから何世紀もたった今、キャンディは誰でも気軽に楽しめる存在になった。
 コンビニのないイタリアでも、スーパーマーケットへ行けばカジュアルなパッケージに包まれたキャンディたちを気軽に手にすることができる一方で、 街中に散在する高級キャンディー店へ行けば、宝石のように美しいキャンディを女王様のように手に入れることもできる。

 そんなトリノはとても素敵だな、と私は思っている。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.45 ティラミスを考える

ティラミスを考える

Penso a Tiriamisu





世界中がみんな大好き!

Il dolce piu' amato dal mondo!

シーキューブのティラミスが、日本産のマスカルポーネからイタリア製のマスカルポーネになって美味しさがパワーアップ、ということで、 今回はティラミスについて書いてみようと思う。

ティラミスはイタリア語でTIRAMISUと書く。Tiramisuの「Tira」は引っ張るという意味の動詞、miは「私を」、 そしてsuは「上へ」。つまり「私を引っ張り上げて→私を元気にして」というような 意味のネーミングだというのは、みなさんも聞いたことがあるのではありませんか? あんまり美味しくて元気が出ちゃうのか、それとも卵と砂糖とマスカルポーネのカロリーで血糖値ががーんと 上がって元気が出るのかは知らないけれど、とにかく、 イタリア全国的に人気のデザートであることにはかわりない。

トラットリアや食事を出すバールのデザートメニューには、かなりの確率でティラミスがある。高級レストランになると、シェフオリジナルのデザートを出したいのだろう、いわゆる「ティラミス」は見かけない代わりに、ちょっと独自の工夫を加えた「変わりティラミス」が登場する。チョコレートとコーヒーの変わりにフルーツが使ってあったり、 ヘルシーさを強調するためにマスカルポーネではなくて、何か別のクリームが使ってあったり。

パスティッチェリア(ケーキ屋店)では、ティラミス味のクリームを詰めたプチフールとか、ティラミス味のムースを重ねたケーキ、ティラミス風のミニグラス入りデザートなどなど。 そしてジェラテリアにはティラミスフレーバーのジェラートがある。 これほど人気のティラミスの発祥については諸説あるが、一番有力なのはヴェネト州トレヴィーゾの 「アッレ・ベッケリエ」というレストランだということになっている。

ところが世界中でこんなにも有名で人気のあるスイーツを生んだのはオラが村だ~と自慢したがるのはいかにもイタリア人的で、 調べてみると、トスカーナ説、ピエモンテ説などいろいろと出てくる。

たとえばトスカーナのシエナにて。時は17世紀末から18世紀初頭。当時のトスカーナ大公であったコジモ・メディチ三世がシエナを訪れた記念にと作られたのがティラミスの元となった 「ズッパ・ディ・ドゥーカzuppa di duca」。

Ducaは大公という意味なので、さしずめ「大公様のスープ」だ。スープと言っても食べるスープではなく、 ズッパ・イングレーゼという、これもまた少しティラミスに似たイタリアのデザートにもあるように、スポンジ生地などにシロップをたっぷりしみこませたものを「ズッパ」と呼ぶこともある。 この大公様のズッパがお気に召したコジモがフィレンツェのメディチ家へレシピを伝え、そして全イタリアに広まったという説だ。



ここでちょっと、ティラミスが何で作られているかを考えてみよう。主な材料はマスカルポーネチーズ。

ロンバルディア州名産の、 牛の乳から作られるフレッシュチーズの一種だ。

 そして卵に砂糖、コーヒー、チョコレート。サボイアルディというビスケットにコーヒーをしみ込ませたところに、 泡立てた卵とマスカルポーネを混ぜ合わせたクリームを重ねる、 というのがものすごく大まかだが、ティラミスの作り方だ。


そこで疑問が湧いてくる。

なぜシエナで、遠いロンバルディア産のマスカルポーネ? 当時は冷蔵トラックも、ミラノーフィレンツェを2時間で結ぶ超高速列車もなかったはずだ。

wikipediaイタリア語版を見ると、やっぱり書いてあった。

「ロンバルディア州産のマスカルポーネチーズや、サボイア家(トリノ)生まれのお菓子サボイアルディが17世紀末にシエナで 使ったというのは疑問で、 特に痛みの早いマスカルポーネについてはとても疑わしい」と。

では、イタリア統一直後のトリノ説はどうだろう。

1861年にイタリア統一を果たしたカブール伯を讃えるために作られたのがティラミスであるという。 こちらのほうが100年ぐらい後の話しだし、サボイアルディは自前で使えるとしても、やっぱりマスカルポーネの疑問は解決しない。

こうやって考えていくと、結局ヴェネト説に軍配があがりそうだ。

60年代頃、トレヴィーゾの「アッレ・ベッケリエ」のコックさんが、ヴェネト地方の農家でよく食べられていた卵と砂糖を 泡立てた強壮食(弱った身体に元気をつける食べ物。

卵酒みたいなもの?)にマスカルポーネを加えて作ったデザートだというのが一番納得できる。

60年代頃なら冷蔵車などの輸送手段も ずっと発達していたから、トリノからのサボイアルディビスケットも、ミラノからマスカルポーネチーズも、簡単に手に入ったはずだからだ。

ちなみに60年代より前のイタリアの料理書にはティラミスのレシピは登場していないという。

これもヴェネト説を有力化させる証拠かな。 そしてティラミスという言葉が イタリア語の辞書に初登場した、つまりティラミスがイタリア全国的にポピュラーになったのは、なんと1980年のことだという。


1980年といえば、日本でティラミスが爆発的ブームになったのは1990年だから、たった10年しか開きがない。日本ってとにかく早いんだな、とつくづく感心してしまう。 当時私はまだ日本に住んでいて、ティラミスブームを作った雑誌『Hanako』と同じ出版社で働いていた。

あのものすごいティラミスブームは、今でもとてもよく覚えている。

 そのちょっと後の一時期、巨大ブームの反動か、ティラミスを食べるなんてダサいという風潮がちょっとだけあったが、美味しいものはやっぱり美味しいと、 20年たった今の日本ではティラミス人気は完全に復活している。これはもう、日本のイタリアンのシェフ達やお菓子メーカーの方々が、ティラミスのおいしさを伝えつつ、 磨きあげてくれたおかげだろうと思う。

だからといってはなんなのですが、「アッレ・ベッケリエ」のティラミスは、あれ、こんなものなの? というぐらいのお味。日本のお菓子市場VSイタリアで、 ベスト・ティラミス巡りの旅、 なんていうのも楽しそうだ。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.44 イタリアの夏ごはん その2

イタリアの夏ごはん その2

La pappa estiva alla italiana N.2



「切って盛るだけ」

Solo tagliarli e sistemarli
イタリアの夏は、と一言でいっても最北端のアオスタは北海道みたいにすっきりさわやか、日差しは強いけれど湿気がなくて過ごしやすい避暑地気候だし、最南端のパンテレリア(シチリアの離島)は、もともとはアフリカの一部だったものが地殻変動でアフリカから離れてイタリアの領土となっただけあって、アフリカ並みの暑さに違いない。

だから私が語るイタリアの夏は、私の暮らすピエモンテと、その周辺の話が中心なのだけれど、さらっとした空気にカラッとした日差しが本当に気持ちがいい。

ところが最近の異常気象の影響か、時々熱帯夜みたいな寝苦しい夜や、大気が湿気をじっとり含んで呼吸が苦しいような日が時々ある。

ま、日本のあの眠れない夜に比べたら、赤ちゃんみたいなものなんだけどね。

そんなふうに暑い日は、イタリア人たちは暑い、暑いと大騒ぎ。そんな時は何を食べようか、というのが昨年(Vol.32)に引き続いて今回のお話である。

なにせ基本的にはそんなに暑くないので、クーラーというものが普及していない。

話が少しそれるけれど、古い街並を保存しているイタリアでは、築100年、200年なんていう建物に住んでいることもわりあい普通で(中は現代風に改築してある)、そういう建物は壁が50センチぐらい厚いのでクーラーの室外機を設置するための穴が空けられない(物理的に&歴史的建造物に手を加えてはいけないという法律のせい)。

これがクーラーが普及しなかった一因らしい。もっと話をそらすと、夏場にはクローズする映画館が多い。え? なんで?? イタリアに来たばかりの頃の私の頭の中も?でいっぱいだったのだが、よく聞いてみると映画館にクーラー設備がないからだとわかった。

それからもう17年もたっているのに、先日古い映画館の前を通ったら、やっぱりクローズになっていた。


こういうイタリアだから、暑い日に、クーラーのないキッチンで火を使って料理をするのはとても辛い。そこで人気なのが「カプレーゼ」を代表とする、「切って盛るだけ」料理だ、というのはVol.32でも書いた通り。カプレーゼは日本でも人気の、モッツァレラチーズとトマトのスライスを盛り合わせた一皿だが、実は日本のみなさんも、そして当のイタリア人も意外と知らないのがモッツァレラの脂肪分、カロリーの高さだ。

100gあたりのモッツレッラの脂肪分は牛乳製のもので16.1g、カロリーは243kcal。
水牛製になると脂肪分はなんと18.3g、カロリー240kcalだ。モッツレッラの塊は1個100gではすまないので、おいしいおいしいと気軽に食べているとすごいことになる。

あっさりさわやか感が似ているお豆腐とは大違いなのだ(木綿でも72kcal、脂質4.2g)。

その点、切って盛るだけな上にカロリーも控えめ、サラダ感覚で食べられるおすすめ料理が「パンツァネッラ」だ。これは古くて固くなったパンを利用して作るトスカーナの伝統料理。

今では夏のあっさり料理としてイタリア全国的に人気がある。

作り方はとても簡単。 

材料は
①古く固くなったトスカーナパン。
→日本ではトスカーナパンを手に入れるのは面倒だと思うので、普通のフランスパンなどで代用。できるだけ身の詰まったパンのほうがおいしいかも。 買ったらビニール系の袋から外して空気にさらしておけば、1~2日で固くなるはず。急いでいる時は、固くなくてもなんとかなるかも。

作り方
①の振りかける水を少なめに調整して。
②トマト、キュウリ、赤タマネギ
③オリーブオイル 塩、コショウ、白ワインビネガー。

作り方は
①パンは外側の皮を切り取り、バットなどに並べてお酢を加えた水で湿らす。
ここで大事なのは、ビショビショにして、パンをぐにょぐにょにし過ぎないこと。
あくまでも「湿っているけれどパンの食感はあり」という感じで。お酢の量は好み。
酸っぱいのが好きな人はたっぷりと。これを適当な大きさにちぎり、サラダボウルに入れる。

②キュウリはスライス、トマトは適当なサイズの角切り(またはプチトマトなら半割りとか)、赤タマネギは薄くスライスして、ここでも白ワインビネガーを加えた水にしばらくさらしておく。

これらも①のボウルに全部入れる。

③バジリコ、オリーブも加えたら、オリーブオイル、塩,コショウで味を整え、冷蔵庫にしばらくおいてからいただきまーす。

写真は私が家で作って食べているパンツァネッラ。
トスカーナパンでなく、全粒粉のパンを使って栄養補給。黒オリーブを入れるとさらにおいしく、子供に食べさせる時には人参なども入れて栄養満点にしちゃいます。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.43 イタリア・パンの物語

イタリア・パンの物語

Storiella del pane italiano

土地の数だけパンがある

Ogni posto ha il suo pane

イタリアには大別しても250種類ものパンがあるそうだ。
たとえば硬質小麦(タンパク質の含有量が高いデュラム・セモリナ)がたくさんとれる 南イタリアのプーリアでは、アルタ・ムーラといって硬質小麦100%の歯ごたえのあるパンが伝統的だったり、お米の大生産地であるロンバルディア地方 では、米粉を混ぜたパンが焼かれていたり。

これらを粉の配合の違いや大きさの違いなどに細かく分けたら、1000種類にも及ぶそうだ。 この数字が他のパンを食べる国と比べてどうなのかはわからないけれど、とにかくイタリア人は毎日毎日パンを食べる。 え? イタリア人ってパスタじゃないの? と思ったそこのあなた。

私もイタリアへ来るまではそう思っていたのだが、実はちょっと違うのだ。

イタリア人にとってパスタはおかずで、パンはご飯であると誰かが言っていた。



たしかにそうかもしれない。その証拠にイタリア料理の中でパスタは プリモピアット(第一のお皿)で肉、魚料理がセコンドピアット(第二のお皿)というカテゴリーになっている。

レストランでも前菜がでたときから パスタ料理、セコンド料理を食べる間中ずっと、テーブルにはパンがサービスされる。

つまりパスタをおかずにパンを食べるのが常識として認められているというわけ。

日本でもラーメンライスなどする人もいるけれど、イタリアのパスタ&パンは最高級レストランから家庭まで、みんながやっている。

つまりイタリア人の食卓にパンは欠かせない存在というわけだ。

だからイタリア人は、一人当たり年間60キロもパンを消費する。

これはなんと、パスタの2倍に及ぶのだそうだ。

考えてみれば 、パスタがイタリアの国民食のようになったのは17世紀頃のことだが、パンはといえば紀元前、古代ローマ時代から食べているんだもん、 キャリアが違うのだ。

イタリアのパンはまずいよね、と日本の人から言われることが多い。

たしかにイタリアの、ある種のパンはとてもおいしくない。

外側がポロポロと剥がれるような皮で、中はかさかさ、スカスカだったりして。

ところがある時、海辺のレストランでボンゴレとムール貝の「ズッペッタ・ディ・ペッシェ」を食べていた時のこと。 貝類をニンニクとパセリをきかせたトマトソースで煮込んだ料理なのだが、トマトの酸味と甘みと貝の旨味がぎっしりと濃縮されたソースが絶品だった。

貝を平らげた後、ソースを残してしまうのはいかにももったいないと、テーブルにあった例のカサカサのパンを浸して食べてみた。

そのおいしかったことといったら! カサカサだからこそソースを吸い込む余力がたっぷりとあり、よく言えばニュートラルな(悪く言えば味がしない?) パンの味がソースの濃い味を食べやすく和らげ、よりおいしくしていた。

私はパンをお代わりして、お皿がきれいになるまでソースを全部食べ切った。 

あれがリッチな味わいの香り高いパンだったりしたら、あそこまでおいしかっただろうかと、今も時々思い出す。

ちなみにパンでお皿のソース等を拭って食べることをイタリア語で「スカルペッタする」(fare scarpetta)という。 

マナーブック等には「高級レストランではしないほうがいい」なんて書かれていることもあるが、高級レストランだろうが場末の食堂だろうが、 美味しければやっちゃえばいいのだ。

料理人にとって、なめたようにきれいに食べてくれた皿を見るのはどんな褒め言葉よりも嬉しいに決まっているのだから。

「まずい」と誤解を受けやすそうなパンに、トスカーナパンというのがある。

塩が入っていないことで有名なのだが、知らないで食べるとたしかに 「なんだこれ?」というお味。ところがこれをトスカーナ名物のサラミ類と一緒に食べたり、ブルスケッタにしたりすると、その印象は180度変わる。


他のパンで同じように食べてみても、サラミもパンも、どちらも今ひとつの印象になってしまうからすごい。

今からウン十年前、初めてイタリアに旅行した時、フィレンツェの友人の家で食べさせてもらったトスカーナパンのブルスケッタの味とその時の光景は、今でも忘れられない。

スライスしたパンを暖炉にのせた網でちょっと炙り、そこへ半割りにしたニンニクをこすりつけ、地元産の極上オリーブオイルをたらし、塩をふる。

たったこれだけの料理だけれど、オリーヴオイルの香りと、それを引き立てるトスカーナパンの味わい深さ。

これが普通の白いパンだったり、個性の強いパンだったりしたら、あんなふうにおいしくはなかったはずだ。

パンに限らず食べ物はみんな、その土地の気候や歴史、文化と深く深く結びついている。

だからこそ、それぞれに個性的で魅力的で、あちこち旅して食べて歩くのがこんなにも楽しくてやめられないのも、しかたがないのだ。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.42 南イタリアの夏のご馳走

南イタリアの夏のご馳走

Sfizi del Sud d'Italia

コラトゥーラ・ディ・アリーチのスパゲッティ

Spaghetti alla colatura di alici
今頃のイタリアは一年で一番気持ちよくて楽しい季節。

強烈な夏の太陽がありながら、でもまだ空気には春のフレッシュさが残っていてすっきりさわやか。

一年で一番日が長くなって夜の9時過ぎまで明るいから、テラスで冷えたワインを飲みながらゆっくりとアペリティーヴォを楽しんだり、夜遊びを兼ねて夕食に出かけたり。

ところが今年は異常気象なのか、この原稿を書いている6月某日現在も、雨が続いて肌寒い日が多い。なんでも50年ぶりの寒さ、というか暑くならなさ加減だそうだ。 

やって来ない夏を恋偲ぶせいか、ここのところ毎日のように南イタリアご飯ばかりを食べている。

極上のモッツァレラに熟れ熟れのナポリ産プチトマトとか(真夏の熱い太陽がないとトマトはよく熟れないけれど、プチトマトは比較的一年中おいしい)。

ジャガイモとタコとカッペリのサラダとか。カッペリとはイタリア語のケッパーのことで、シチリアの離島パンテレリアあたりが名産。同名の植物のつぼみを塩漬けにしたものだ。
だから、南イタリア料理と言うとついあちこちにケッパーを入れたくなってしまう私。

そうそう、よく熟れたトマトをたっぷり刻み、ケッパーも刻み、ニンニクと塩とオリーブオイルで調味したら、茹でたて熱々のスパゲッティにあえると、極ウマ夏のパスタ「スパゲッティ・アル・ペスト・パンテスコ」(パンテレリア風ペーストのスパゲッティ)のでき上がりだ。

ちなみにこのパンテレリアという島は、もともとはアフリカだったのだけれど、地殻変動によって陸から離れ、現在はイタリアの領地となっている。

っていうぐらいアフリカに近いので、太陽の強さは半端じゃない。

その太陽が育ててくれるケッパーは極上に美味しくて、イタリアでは塩漬けにして料理に使う。大粒のケッパーはピクルスになってワインのおつまみとしても活躍したり。

さてケッパーがちょっとクセのあるシチリアの旨味だとしたら、日本人にはとても馴染みやすい、だけどこれぞ南イタリア! な味が「コラトゥーラ・ディ・アリーチェ」。

地中海名産の脂肪分の少ないアンチョビ(片口イワシ)を塩漬けにし、そこから上がってくる液体から不純物をとりのぞいたもので、日本の「しょっつる」やタイの「ナムプラー」ベトナムの「ニョクマム」にとてもよく似た調味料の一種だ。

ナポリの東南約40キロ、アマルフィ海岸にある、小さいけれどマグロ漁で有名な漁村チェターラで昔から作られている。


ボウルに刻んだ生のニンニク、パセリ、オリーブオイル、そしてこのコラトゥーラを入れて混ぜておき、そこに茹でたてのスパゲッティをドバッと入れ、ワシワシッとかき混ぜて食べるというのが、伝統的かつ代表的なコラトゥーラの使い方だそうだ。

さすが漁師の町の伝統食材。海の男の料理だ。    

取材でアマルフィ海岸に行き、かの地の超高級ホテル「ホテル・カルーゾ」に泊まるという豪華体験をしたことがあった。

その時、ホテル・カルーゾのレストランで、「なにか地元の、普通じゃない、美味しいものが食べたい」とお願いしたところ、シェフが作ってくれたのがやっぱりコラトゥーラのスパゲッティであった。
ただしこちらはニンニクを低温に温めたオリーブオイルで香りを出しておき、そこへ茹でたてのスパゲッティとコラトゥーラをさっとあわせ、皿に盛ったらチーズの代わりにレモンの皮を目の前ですり下ろしてくれるという、似て非なるものだった。

ニンニクとコラトゥーラの味があわさったソースをしっとりと吸ったスパゲッティはことのほか美味しくて、鮮やかなレモンの色と香りも忘れられない記憶となった。

アマルフィの美しい景色も海の色、そしてコラトゥーラのスパゲッティとレモンの香りを、夏が来るたびに大切に思い出している。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.41 イタリアのランチタイム

イタリアのランチタイム

Ora di pranzo alla italiana


お昼寝付きだったら最高!

Pranzo con sonnellino sarebbe massimo!
イタリアのランチタイムの話をしようとすると、驚くほどたくさんの人から 「ああ、2時間も3時間ものんびり、 たっぷり食べるんでしょ? シエスタなんかしてね」と言われることがとても多い。 おいおい、シエスタはスペインの習慣だぜセニョール(セニョールもスペイン語。イタリア語はシニョーレ→男性を指す言葉)と 心の中でちょっと毒づきながら、ただ黙ってにっこり笑う私は、優しい仮面をかぶった嫌な奴。

シエスタとは言わないけれど、イタリアでも確かに昔は(もしかしたら今でも、一部ののんびりした地方あたりでは)、 お昼ご飯を食べたらのんびりお昼寝をしてから午後の仕事にとりかかる(もしくは、これにて本日の営業終了ということも!!) なんてこともあったようだけど、現代のイタリアでは平日にのんびりたっぷり昼ご飯を食べる人なんてほとんどいなくて、 社会人なら1時間前後のお昼休みに、ささっと食べるのが普通。

何をどこで食べるかと言うと、近所のバールでお手軽に済ますというのが圧倒的。

ご存知パニーノからトラメッズィーニ (パニーノは丸い小型や長型のパンを切って何かを挟んだもの。

トラメッズィーニは日本で言うところのサンドイッチ)、 またはトーストとイタリア人たちが呼ぶハムとチーズを挟んだホットサンドをさっと食べるか、インサラトーネ(大きなサラダ。 野菜だけでなくモッツァレラチーズ、ツナ、ゆで卵、オリーブ等が盛りだくさんに入って結構なボリューム)やピアット・カルド (温かい皿。ちゃんと食器に盛られたパスタとか肉、野菜料理をチンしてもらって食べる)などをその日の気分で。 

パニーノと水、コーヒーなら5ユーロ前後、ピアット・カルドを選んでも10ユーロ以内で収まってエコノミーなのだが、 最近は不景気の影響で、「前菜とパスタ、コーヒー付きで7ユーロ!」「一皿料理に飲み物付きで5ユーロ!」なんていう看板もよく見かける。 

競争の激化で値段は下がり、質が向上するのは消費者にとっては嬉しい限りだ。

そうそう、お手軽ランチの代表選手に「切り売りピッツァ」もある。 ピッツェリアでちゃんと食べるピッツァと違い、フォカッチャに近い柔らかい生地にいろいろな具をのせて焼いたものだ。 

切り売りピッツァの専門スタンドがイタリア各地の町のあちこちにあって 、油の染みない紙に包んだピッツァをパクツキながら歩く人をよく見かける。

安くておいしいランチといえば、最近は「ガストロノミア」も大流行中。 

ガストロノミアとはもともとお総菜店という意味で、 お金持ちの奥様のキッチン代わりのような存在。 

ゴージャスでパーティー料理みたいなお惣菜や高級チーズ、ハム類がすごい値段で売られている。 先日も、原稿が立て込んでいて、 夕食作るのめんどくさいなあ、時間ないなあ、と思いながら歩いていたら、美味しそうなお総菜店の前を通りかかった。 

お腹もすいていたので、ついふら~りと足を踏み入れてしまった。

娘と私、二人前ならたかが知れているよねと、 うっかり値段も見ないで買ってしまったらなんと!  50ユーロもかかってしまったのだ。

買ったのはラザニア一人前、 パエリア一人前、人参のサラダ2人前、ケーキ一切れだけ! こんな値段払うんならレストランに行けたよね、 と娘と二人ため息をついたのも後の祭り。

一方、最近流行のガストロノミアはヘルシーな野菜たっぷりの各種サラダやおかず類、玄米や全粒粉を使ったプリモ類、 砂糖や卵を使わないデザート等を売りにしているようなところも多く、しかもその場で食べることができて安い!トリノの中心街にある私のお気に入りの一軒は、一皿に好きなだけ、好きな種類を盛ってもらって6ユーロ!水をつけても7ユーロだ。

「セロリと牛肉とオレンジのサラダ 松の実入り」とか「春の葉野菜入り玄米のリゾット」なんていう具合に、 メニューもヘルシー&おしゃれ(ただし持ち帰りにすると、少し割高になるので要注意!)。

ヘルシー&おしゃれなエコノミー系もお金持ちのキッチン代わり系も、どちらも「ガストロノミア」なので、 まずは外から様子をうかがってみることが大切だ。

ヘルシー&エコノミー系は、大抵イートインスペースがあるのが目印。 

イタリア旅行中の野菜不足解消にもおすすめです。

さて、冒頭で、現代のイタリアではランチの後にのんびりお昼寝なんかする人はいません、と書いたけれど、 それは普通時のことで、これがバカンスとなると事情は全く違ってくる。

休み中でもセカセカと移動したり、 何かアクティビティをしていないと気が済まない日本人と違い、一カ所に長期(一ヶ月とか!)滞在型のバカンスを好むイタリア人たちは、 朝ビーチで泳ぎ、昼に家に戻ってランチ、午睡をたっぷりとってリフレッシュしたら、夕方からまだビーチで遊ぶ、 というような一日の過ごし方をする人が多い。

そんなバカンスをするために一年間頑張って働くというのがイタリア人の人生観。 

だから食べた後はお昼寝したいんだ、というのが本音なんだと思う。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.40 イタリアのビスケットたち

イタリアのビスケットたち

Biscotti italiani


見かけは悪いけどおいしいよ

Brutti ma buoni
ピエモンテの名物焼き菓子の一つに「ブルッテイ・マ・ブォーニ」というのがある。

イタリア語で「Brutti ma buoni 見かけは悪いけど、めちゃめちゃおいしいよ」という意味のビスコッティ(ビスケット)だ。

メレンゲ生地にアーモンド、またはヘーゼルナッツを混ぜ込んで鍋で沸騰させたら、スプーンでさっとすくって天板にドカッ、ドカッとのせて焼いたというような風貌。

確かに美しくはないけれど、口に入れるとナッツの香ばしさとメレンゲの甘さが口の中で混ざりあって、ああ、おいしい。

メレンゲ生地を沸騰させちゃうの? と一瞬思うのだが、これがオリジナルな作り方で、2回火を入れることから「ビスコッティ」→ビス=2回、コッティ=加熱した という名前になったというわけだ。 

ちなみにトスカーナにもトスカーナ地元菓子「ブルッテイ・ブォーニ」というのがある。

これはサヴォイア家がイタリアを統一した後、トリノからフィレンツェに遷都した時にサヴォイア家のお菓子職人たちがトスカーナに広めたものだそう。

トスカーナヴァージョンには小麦粉に刻みアーモンド、干しぶどう等が入っているのが特徴で、メレンゲっぽいピエモンテヴァージョンとはずいぶん口当たりが違うけれど、これもまた、とてもおいしい。

考えてみるとイタリアのお菓子は、大なり小なり「ブルッティ・マ・ブォーニ」なものがほとんど。 見かけは無骨でシンプルすぎるぐらいシンプルだけど、もう一個食べたい、またもう一個、と後を引くおいしさと言うか、毎日食べたいおいしさと言うか。

フレンチの、宝石のように美しいお菓子たちに比べると見た目が劣るせいか、日本ではなかなか広まらないようだけど、どうぞ日本のみなさん、イタリアの焼き菓子のおいしさをもっと知ってほしいなあ。

最近私がはまっている「トルチェッティ」は、細長くした生地をクルリとねじって馬蹄型にしたようなビスケットの一種。

イタリアの焼き菓子にしては珍しくバターがたっぷり入っているので、かじるとパリパリと砕けて、ちょっとパイ生地にも似た口当たりがやめられないおいしいさ。

イタリアなのにバターを使うのは、やっぱり発祥がフランスに近いピエモンテだからかな。



昔々、ピエモンテあたりの山間の村では各家庭にはオーブンがなくて、 村に一つ共同のパン焼き窯があったそうな。

パンを焼く順番を待つ間に、誰かが余ったパン生地に砂糖かハチミツをまぶして オーブンの入り口付近にちょこっと入れてみたのが最初という。それがいつ頃からかバターが入るようになった。

そしてサヴォイア家のお妃で、ピッツァに名前を冠されて有名になったマルゲリータ女王の大のお気に入りにまでなったとか。

山間の村のパン焼き窯から生まれたと言えば、「パスタ・ディ・メリガ」も私の大のお気に入りだ。

ピエモンテの農村は昔貧しくて、寒さも厳しかったので小麦粉が穫れず、お菓子はもっぱらそば粉やライ麦、からす麦など、 現代ならヘルシー?と褒められるところだけど、当時としては貧しい限りの材料で作られていた 。

時代が移ってポレンタの時代になり、トウモロコシの粉がたくさん生産されるようになると、 お菓子もトウモロコシの粉で作られるようになった。

その一つがトウモロコシ粉のビスケット「パスタ・ディ・メリガ」だ。 食べるたびに、プツプツとトウモロコシ粉の粒が舌に触ってとても楽しい、おいしいお菓子だ。

最近のイタリアでは、ケーキデザインだなんて言って、カップケーキやマフィン等にやたらと派手な色使いでデコレーションしたり、カラフルなケーキなどが遅ればせながら流行し始めている。

でもそんな見かけにだまされないで、昔ながらの本当においしいお菓子をいつまでも大事にしていくのがイタリア、と私はいつも思っている。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.39 トローネってどんなお菓子?

トローネってどんなお菓子?

Il torrone ,che dolce e' ?


トローネのオリジナルとは?

Quale e' l'origine di torrone?

今回はトローネというお菓子について。

高温に煮詰めたハチミツと泡立てた卵白、ナッツ類を混ぜ合わせて固めたお菓子が「トローネ」だ。

日本の人には「ヌガー」と言ったほうがわかりやすいかも。

かなり強烈に甘いものも多いけれど、いろいろなナッツの風味が香ばしくて、カリッと齧れるハードタイプも、食べやすいソフトタイプも、どちらもとてもおいしいお菓子だ。

たとえば古代ローマ時代の歴史家プリニウスという人は、当時のトリノにハチミツとヘーゼルナッツで作られたお菓子が存在したと書いている、とか。

なるほど、ピエモンテのトローネは、今でもヘーゼルナッツ入りが定番。上質なヘーゼルナッツがピエモンテの名産だからだ。

ちなみにヌガーの定義は厳密には卵白は必須ではないそうで、だからローマ時代のトリノのお菓子も、ナッツをハチミツで固めた雷オコシ状のお菓子も、ヌガーの一種ということになる。

ラテン詩人のマルコ・ヴァレリオ・マルツィアーレという人は、紀元前600年から紀元前200年頃まで勢力を誇っていたサムニウム人たちがすでにトローネと同じお菓子を作っており、それを売り歩く専門の商人までいたと書いている、とか。

それをアラブの商人達が地中海沿岸地域、特にスペインとイタリアへ持ち込み、普及させた、とか。

そして「トローネ」という名前のお菓子として正式に誕生したのは、1441年10月25日のこと、ということになっているという説もある。

場所はイタリアのクレモナ。

バイオリンのストラディバリウスが作られた場所として有名な、ミラノ近郊の町だ。

フランチェスコ・スフォルツァ(後のミラノ公)とヴィスコンティ家のお嬢様ビアンカ・マリアの婚礼の儀に、トラッツォと呼ばれていた町の鐘塔を象ったお菓子が作られた。

これが後にトローネと呼ばれるようになったというわけだ。

それで今でもクレモナでは、毎年12月にトローネ祭りというのが行われて、去年の開催時には世界一長いトローネが作られたそうだ。

こんなふうに発生説がいろいろあること自体、イタリア人がトローネ大好きな証拠だと思う。いろんな人が、いろんなふうにトローネのことを考えているんだもんね。

だからイタリア全国各地にそれぞれお国自慢のトローネがある。

イタリア食材辞典には「トローネの名産地はクレモナ(ロンバルディア州)、アルバ(ピエモンテ州)、シエナ(トスカーナ州)、ベネベント(カンパーニャ州)、アブルッツォ、カラブリアである」と書かれているが、これ以外の場所でもトローネは作られている。

そういえばイタリアに来たばかりの頃、あちこちでトローネを見かけたので、「どこのお菓子ですか?」と聞いてみると、ピエモンテの名物で、ピエモンテ生まれだと言われた。

それからある時、シチリアに行ったらトローネがまたあったので「これはどこのお菓子ですか?」と聞いてみると、シチリア名物で、シチリア生まれだと言われたのを思い出す。

私の暮らすピエモンテ州アルバのトローネは名産のヘーゼルナッツがふんだんに入っているし、シチリアのそれにはアーモンドやピスタチオが使われている。


そして金槌がないと割れないような固いトローネが伝統かと思えば柔らかいトローネ、チョコレートコーティングされたトローネ、卵白の生地の中にチョコレートを入れた黒っぽいトローネ、卵白なしの茶色いトローネなどなど、様々なバリエーションがある。

そしてイタリアはついに、トローネ好きが高じてトローネ味のジェラートまで作ってしまった。

イタリア人がそのお菓子をどれぐらい好きか、どれぐらいポピュラーかを計るには、そのお菓子味のジェラートがあるかどうかをみればわかると思うのだが、ティラミス味やカッサータ(シチリアの氷菓の一種)味のジェラートに並んで、トローネ味のジェラートも大抵のジェラート屋さんにある。

イタリア人って、ほんとうにトローネが好きなのである。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.38 チーズの話・再び

チーズの話・再び

Ancora il racconto del formaggio


リコッタチーズ、おすすめです。

Raccomandatissima la ricotta

最近、私と娘はリコッタチーズにはまっている。

リコッタはほんのりとミルクの味がして、ふんわりと柔らかい。

口の中がやさしくなるその食感は、できたてのお豆腐を食べている感じにも近い。

でも最近はそのまま食べるよりも、朝パンに塗って食べるのが一番のお気に入りだ。

娘はジャンドゥイオット味のスプレッドチョコレートとリコッタを、私は森のハチミツとリコッタを、パンに塗って食べる。

クリーミーなのにしつこくなく、一緒に塗るチョコやハチミツの味を引きたてつつ柔らかくしてくれて、それはそれはおいしい。

私はオレンジのジャムとの組み合わせも大好きで、特にオレンジの皮がゴロゴロ入ったマーマーレードとは最高の組み合わせだと思う。

クリーミーなのにしつこくないというその秘密は、リコッタの作られ方にある。

チーズを作る際、乳にレンネットというチーズ界のニガリのようなものを入れると、チーズになる部分と乳清と呼ばれる水分に分かれる。

この乳清を再度加熱して固めたものがリコッタだ。名前も Ri=再び cotta=加熱した、だからリコッタと言う。

そんなわけでイタリアでは、リコッタは厳密にはチーズのカテゴリーには分類されない。チーズの副産物というわけだ。

チーズを作った残りから生まれるだけに、リコッタには乳脂肪分やカロリーがとても少ない。

牛かヤギか羊かなど、原材料がどんなお乳かによって多少差があるが、牛乳のリコッタなら100gのカロリーが136kcal程度、総脂肪分は8g。みんなが大好きなモッツァレッラチーズはカロリー243kcal、総脂肪分16.1g、マスカルポーネチーズに至ってはエネルギー453kcalに総脂肪分は47g。

うっかり食べ過ぎると大変だが、リコッタなら安心。しかもタンパク質は100g中12gとなかなか優秀。

低カロリー高タンパクの、ダイエットにも最適なチーズとも言えそうだ。

リコッタ協会の回し者でもなんでもないが、愛してやまないリコッタを日本の人にももっと食べてほしいと思う私は、周りを見回してみた。

すると、イタリアの料理界、お菓子界にはリコッタが至る所で活躍していることに、今更ながら驚いた。

たとえばラビオリやトルテッリーニといった詰め物入りのパスタの中身は、リコッタ入りが王道。ほうれん草とリコッタ、エルベッタ(葉野菜の一種)とリコッタといった組み合わせはとてもポピュラーだ。

それからトルタ・サラータといって野菜やお米等をベースにした甘くないケーキは、前菜やセコンド料理によく使われるが、ここにもリコッタがたっぷり入っている。

たとえばズッキーニやにんじん、ペペローニを塩味で炒めたものとリコッタ、卵を混ぜて、パイ生地を敷いた型に流し込んで焼けば、おいしい野菜ケーキのできあがり。

キッシュにちょっと似た作り方だけど、生クリームでなくてリコッタなのでとてもヘルシーというわけだ。

お菓子に使われるリコッタで有名なものと言えば、何をおいてもまずはカンノーリ。

カリッと揚げた筒状の皮の中に、リコッタで作ったクリームをたっぷり詰めていただくシチリアを代表するお菓子だ。

映画『ゴッドファーザー』の中で、怖いマフィアたちもカンノーリには弱い、というようなシーンがあったっけ。それからナポリの伝統ケーキ・パスティエーラもある。

こちらはビスケット生地にリコッタベースのクリームを詰めて焼いたケーキだ。

他にもリコッタを使っているお菓子はたくさんあるが、中でも私の大のお気に入りが「リコッタ・アル・フォルノ」だ。

これは、実はお菓子のカテゴリーには入らないかもしれなくて、売っているのもお菓子屋さんではなくてチーズ屋さんなのだが、甘みとレモンの風味をつけてオーブンで焼いた(アル・フォルノ)その味は、まぎれもなくチーズケーキの味。

レモンの風味が効いていて美味しい上に、カロリーを気にすること無く食べれるリコッタであるというのが嬉しい限り。

イタリアの人たちが、デザートとしてちょっぴり食後に食べるのに対して、私はどかっと大きく切って、午後のお茶と一緒にケーキとして楽しむことにしている。

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住

Vol.37 リンゴのフリッテッレ

リンゴのフリッテッレ

Frittelle di mele



冬のスペシャルおやつ

Dolce speciale d' inverno

ヨーロッパの人はリンゴが大好きで、本当によく食べる。

映画なんかでも学生がお弁当代わりに食べているとか、恋人同士が一つのリンゴをかじっているとか、そんなシーンをよく見るような気がする。

イタリアもそんなリンゴ好きは同じで、子供のおやつや食後のデザート、お菓子、そして時には料理の材料として、リンゴが大活躍する。

穿った見方をすれば、日本ほど流通システムが発達していなくて、たとえば冬の今の時期なら、必ず手に入るフルーツと言ったらリンゴとオレンジぐらいしかないからだ、という言い方もできるかもしれない。

でも、そんなひねくれた考えをしたりして私が悪うございました、と反省したのが先日スーパーマーケットへ行ってリンゴ売り場をじっくり眺めてみた時だ。

5メートルほどの長さの一つの棚全部がリンゴで埋まっているのだ。

そしてそこには日本でも御馴染みのゴールデン・デリシャスから、ジョナゴールドとかガーラといった国際品種、それからピエモンテ名産のレネッタ、そして世界中で大人気という日本のフジが並んでいる。

イタリアでリンゴと言えば、北東部にある特別自治州のトレンティーノ・アルト・アディジェ州が有名。

特に北部のアルト・アディジェでは、イタリア国内産リンゴの50%、95万トンを年間で生産するそうで、当然のことながらリンゴを使った名物もたくさんある。

リンゴジュース、リンゴジャム、リンゴワインetc….中でもリンゴのストゥルーデルはとても有名だし、寒い季節のホットリンゴジュースなんかも郷土の人気者だ。

おや、ちょっと待って。ストゥルーデルはオーストリアのお菓子ですよ、とスイーツ通の読者の皆様はお思いになられたんじゃありませんか? 

はい、それも正解です。

でも、第一次世界大戦までアルト・アディジェはオーストリアの領土だったため、現在でも公用語はイタリア語とドイツ語で、人々もイタリア人というよりドイツ人に似た体型、顔かたちの人が多い。

だからアルト・アディジェがイタリアになった今も、オーストリア時代から食べ続けているリンゴのストゥルーデルが健在なのである。

ところでストゥルーデルの陰に隠れてとても地味ではあるけれど、一般の家庭のマンマ、もしくはノンナ手作りのおやつとして俄然人気があるのが「フリッテッレ・ディ・メーレ=リンゴのフリッテッレ」だ。

リンゴに甘い衣をつけて揚げたこのフリッテッレは、カーニバルシーズンの家庭のおやつとして、全イタリア的に人気がある。

衣がフニャフニャと甘く、その中に甘酸っぱいリンゴが隠れているドーナツみたいなもの。各家庭で、それぞれ秘蔵のレシピがあるのだが、私は皮をむいて芯をくり抜き、小麦粉160g、卵2個、牛乳200cc、砂糖30g、塩ひとつまみで作った衣をつけて揚げてみた。

卵は卵白だけ後で泡立てろと、伝統的なレシピ集に書いてあったのでその通りにしたら、ベーキングパウダーを入れずともふんわりとドーナツ状に揚がった。

熱々のところにグラニュー糖をまぶして食べると、甘くて酸っぱい温かい味がお腹の中にすいすい入っていく。

本場アルト・アディジェではゴールデン・デリシャスを使うのが一般的みたいだが、ピエモンテのおばあさんたちは、地元名産のレネッタという、一見梨のような外見をしたリンゴを使う。

試しに両方使ってみたのだが、レネッタのほうが甘味と強烈な酸味があって、揚げたときにそれが引き立つような感じがしたのは、私の身体が半分ピエモンテ人になりかけているせいだろうか? 

文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在