ヴェネツィアのカルネバーレCarnevale di Venezia
仮面とフリッテッレと。Le maschere e le frittelle
クリスマス、そして年末年始の、一連のお祭り騒ぎの時期が過ぎ、ちょっと平穏に1月が過ぎたかと思うと、あっという間にまた、イタリアはお祭りに突入する。そう、カルネバーレ(カーニバル=謝肉祭)である。カルネバーレの意味や歴史などは、去年の今頃このコーナーでご紹介させていただいた。カルネバーレのお祭りといえばヴェネツィアのそれが世界的に有名。というわけで、今回はヴェネツィアのカーニバルのお話を。
世界三大カーニバルの一つと言われるヴェネツィアのカーニバルは、少なくとも900年前にはすでに行われていたと、公式サイトの歴史ページに書かれている。それが現在のようにマスクを着けて仮装して練り歩くようになったのは、貴族たちが身分を隠して庶民と交わって遊ぶようになったのが始まりだという一説がある。アドリア海の女王、世界一の海運国として繁栄したヴェネツィアが、アメリカ大陸の発見によってその地位を失ったものの、ヨーロッパ一発達した文化はさらに爛熟し、その挙句に風紀が乱れていったのだろうか。そういえばマリーアントワネットも遊び好きが高じて、仮面をつけてパリの街へお忍びで遊びに行った、なんていう話が『ベルばら』にあったっけ。
もう一つの説は、寡頭政治で押さえつけられていた市民がうっぷんを晴らすため、カルネバーレの時期だけマントやマスケラ(仮面)で身分を隠し、支配階級をからかっていたことから発祥したとするものだ。生卵などをぶつけられたりしていた支配階級たちも、「年に一度、遊ばないでどうする」と許していたという。懐が深いというか、遊び好きな貴族たち、さすがはイタリアというか、ヴェネツィアというか。
現代のヴェネツィアの仮装行列も、ちょっと他の都市のそれとは比べ物にならないすごさだ。ヴェネツィア市内はもちろん、各地から集まった人々はそれぞれ趣向を凝らしに凝らした仮装をして、誇らしそうに練り歩く。中世の貴族に扮した人が多いが、人形に扮していたり、動物だったり、その他、一言では形容できない、さまざまな格好をした人たちが広場にも、狭い道にも、橋の上にも溢れかえるのだ。他のイタリアの各都市でも、カルネバーレの時期には仮装行列はもちろんあるのだが、ヴェネツィアのそれとは温度が全然違う。他の街では、町の歴史にそった仮装だったり、もしくは子供たちのお遊び仮装で、それはそれなりに楽しそうではあるけれど、なんとなく受け身な感じ。一方ヴェネツィアではみんながまるで、ステージを練り歩くファッションモデルになったように、ギラギラと「私を見て見て」光線を発しながら歩いている。
そんな仮装行列の合間に、ヴェネツィアの街のショーウィンドウを眺めながら歩くと、特に目を惹かれるのがお菓子屋さんだ。ドーナツ生地を丸めて揚げ、砂糖をまぶしたような「ヴェベツィア風フリッテッレ」はカルネバーレの時期だけにお目見えする、ヴェネツィアのお菓子。お菓子屋さんによって多少レシピは違うのだろうが、プレーンなもの、レーズンや松の実が入ったリッチなもの、中にはカスタードクリームを詰めたものなどもあって、揚げ菓子が大好きな私はお菓子屋さんを見るたびに、立ち止まり、中に入り、買わずにはいられない。ヴェネツィアに限らずカルネバーレのお菓子に揚げ菓子が多いのは、カロリー的にも材料的にもリッチなものを食べて、カルネバーレの後にやってくる断食に備えましょうということ。私もクリスチャンではないけれど、明日から断食すればいいや、と買い食いが止まらないのであった。
文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住