イタリア人とバカンスGli Italiani e la loro vacanza
バカンスに行く日が待ちきれない!Non vedo l’ora di partire!
「イタリア人にとってバカンスとは」。
それは命の次に大事なもの、といっても過言ではないと思う。いや違うよ、命の次は家族だよ、そうじゃない、財産だ、などと反論する人もいるかもしれないので、じゃあ、こう言ったらどうだろう。
「イタリア人はバカンスを過ごすために生き、仕事をしている」。
それは命の次に大事なもの、といっても過言ではないと思う。いや違うよ、命の次は家族だよ、そうじゃない、財産だ、などと反論する人もいるかもしれないので、じゃあ、こう言ったらどうだろう。
「イタリア人はバカンスを過ごすために生き、仕事をしている」。
ナターレ(クリスマス)とお正月が終わって、1月から4月初旬までの寒い時期は一応まじめに働くイタリア人(もちろんその間にカルネバーレ=謝肉祭やパスクワ=復活祭の休みなどなどが入るのであるが)も、4月後半、完全に冬が去って太陽が顔を出す日が多くなると、みんないっせいにソワソワしだす。今年のバカンスはいつも通り海の別荘へ行こうかしら、それとも今年は山の避暑地のホテルでおしゃれに過ごしてみようかしら、いや、いっそ海外旅行? とイタリア人たちが旅行雑誌やカタログを前にして悩むのは日本のOLと同じ。問題はその程度と期間である。イタリア人の場合、7月、8月のバカンスを4月から夢見、悩み、準備にいそしみ、ずっとずっとソワソワし続ける。
4月後半、バカンスのアウトラインを決めたら、5月はその準備に忙しく走り回る。海へ行くなら新しい水着にサングラスにとバカンス用品の品定めはもちろん、バカンス初日からかっこよく水着で決めるためには「日焼け」が最重要課題の一つ。そう、イタリア人の辞書には美白という言葉は存在しない。いかに美しく日焼けしているかが、いかに長くゴージャスなバカンスを過ごしたかのバロメーターとされているので、みんな躍起になって日焼けに精を出す。実際にはあまりゴージャスなバカンスじゃなくても日焼けさえしていれば「ふり」ができる。そう、見栄っぱりなイタリア人たちは、バカンス自慢も大好き。だから日焼けサロンは不景気知らずだし、サロンへ行きたくない人は太陽の出ているほうへ常に顔を向けて日焼けを志す。イタリア人とはひまわりのような人種なのである。
そして6月、イタリア人たちのソワソワ度は最高潮に達し、オフィスも公共機関もその機能の半分ぐらいは麻痺してしまう。何年か前の6月のある日、私はある企業にある取材を申し込もうと電話をかけた。すると広報担当の男性がこう答えた。「取材はお受けできると思いますが、詳しい日程などは9月になってから決めましょう」!! またある女友達は、6月の中旬に妊娠が発覚したので産婦人科医に電話をしてみたところ「お大事にして、9月に来てくださいね」!!!
イタリア人たちがこれほどまでに、人生をかけて楽しみにするバカンスの期間はどれぐらいかというと、最低でも1週間、普通は2週間から1ヶ月。中ランク以上ぐらいの家庭の主婦あたりは、6月に入って子供の学校が休みに入ったとたんに海の別荘へ行き、まるまる3ヶ月バカンス、などというツワモノもいる。この場合、夫は8月の一ヶ月だけ家族に合流するとか、海の別荘から別のバカンス地へ出かけるとか、そんな感じである。
しかしこんなツワモノたちも、日本人が思うほどバカンスに大金をかけているわけでもない。多くのイタリア人は親から引き継いだ別荘を海か山に持っているのだが、その別荘は日本人がイメージする「別荘豪邸」とは全然違う。海辺に建っている1DKマンションなんていう場合が多い。都会の自宅が海のマンションに変わっただけで、食事は毎日家で作って食べ、毎日ビーチで遊んでいるだけだからそんなにお金はかからない。移動はどんなに渋滞してもマイカーの場合がほとんどなので交通費も控えめだし。もちろんホテルや、海外へ行けば話しは別だ。
長い長いバカンスを終えたイタリア人たちは、9月、各々がバカンスの土産話と写真を持って自慢大会に集う。かくして9月のピッツェリアは、低予算で友人とバカンス報告会をしたいイタリア人たちで、いつにも増して賑わうのである。
文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住